東京の雑踏

多くのネットユーザーに「おもしろい!」と思ってもらえるような、海外に関する記事が書きたい!そう願い、日夜おもしろいネタ探しをする。すると、あることに気が付く。

それは、日本人は日本のモノに対する「海外の反応」にとても興味を抱きやすい人種である、ということだ。

私が書いたこれまでの記事でも、「I LOVE JAPAN!」外国人が選ぶ日本のいいところベスト5フランス人が日本に来て驚く14のことなど、外国人が日本をみて、それをどう捉えるか?をテーマにした記事は他の記事に比べ圧倒的にアクセス数が多く、また反響も大きい。twitterやはてなユーザーの数を見てもらえば一目瞭然である。これは私のブログだけの範疇ではなく、ネット全体として言えることだというのは何となく想像がつくだろう。

What do you think of me?この「よその国の人が自分たちをどう見るのか?」に高い興味を持つ傾向は日本人に限ったことのように思える。確かに「海外の反応」は、海外の特定の国に興味を抱く人ではなくとも、参加できる題材でより多くのネットユーザーをターゲットにできるという利点がある。しかし、それだけが「海外の反応」人気の理由にはならない。というのも、アメリカやフランスのテレビ番組やインターネットサイトを探してみても、日本ほど多くの「海外の反応」をテーマにしたものは見つからないからだ。アメリカやフランスなどでは、「海外では~」、「この国では~」と他国文化を紹介するものは五萬とあるが、「海外の人たちに自分がどう映るのか?」には大して興味を持っていない。私が感じる印象としては、欧米人は「よその国の人が自分のことをどう思っても、自分は自分」、「他の人にどう思われるかなんて気にしない」と思っているように映る。だから欧米で「海外の反応」をテーマにしたものを記事にしても日本ほど流行らない。

では、なぜ日本人は「海外の反応」にそれほどまでに興味を示すのか。

ここにひとつの推測がたつ。

鎖国、とやら・・・

我が国の歴史を遡ってみよう。舞台は1639年の徳川幕府。日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した鎖国時代の始まりである。この鎖国から生まれたのが日本孤立状態である。まさに読んで字のごとく、国を鎖で覆い、外の世界からシャットアウトした政策だ。反対に同じ時代、ヨーロッパでは当然のごとく国同士の交流が盛んであった。同時に、今日世界的にもてはやされる日本文化のかなり多くの部分(俳句、日本料理、陶磁器など)が、この鎖国時代に生まれ、日本人はそれを発展、確立していった。

この現象は現代のガラパゴス化(文化・制度・技術・サービスなどが日本の市場において独自の進化を遂げ、世界標準から掛け離れてしまう現象のこと)にも似ている。

日本人だけで、日本人のため、日本人がつくる日本国。それが確立していったある日、黒船に乗ったペリーが来航する。「国を開け」「いやだいやだ」の押し問答は続くが、翌年の1854年日米和親条約の締結とともに日本の鎖国政策は終焉となる。

さぁ、ここで一つの問題が発生する。今まで外交を閉ざしてきたニッポン。今さら急に世界を舞台にその存在を確立しようとも、知識がない

日本人が「西洋史」に初めて本格的に接したのは、幕末・明治の頃と言われている。東京大学名誉教授である柴田三千雄氏は語る。

開国後の日本ではたちまち「万国史」などの名をもつ数々の著書や訳書が刊行されるが、それは単に異国趣味のためではなく(それもあっただろうが)、開国で突然に未知の世界にさらされた当時の日本人が、世界における自国の置かれている位置や状況を認識するための手段として、歴史に目を向けたことを示している。

世界における自国の置かれている位置や状況を認識する必要性・・・。

この感覚は現在の日本人も持っているものではなかろうか。昔とは違い、現代では世界の情報を24時間手に入れることができるし、海外の人ともスカイプやチャットでいつでも簡単に会話することができる。しかし、グローバル化する世界のなか、日本人はどこか“取り残されている感覚”があるのではないか。いや、日本企業の世界的な強さを考えれば“取り残されている感覚”というのは語弊がある。だが、日本人の誰もが何となく「日本は独特である」ことを知っていて、だからこそ「海外でどう思われるのか?」を詳しく知りたいと思うのではないだろうか。

これが「日本ではこんな健康的な生活をしているんですよ」という情報を発信するアメリカと「アメリカで日本の健康的な生活をとりあげた記事がありました!」という情報を発信する日本の対外意識の違いである。

写真:Loïc Lagarde

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8 コメント

  1. 海外の反応を気にする日本人の性格を、日本の近代化の時点にまで遡らせるのはどうなんだろ。
    近代化以降、今まで海外の反応を気にしていたという資料的なものがないと説得力がない。

    >日本人はどこか“取り残されている感覚”がある
    単一言語の閉じた集団だからじゃないか。インターネットで世界中につながってるっつっても、結局は自分がわかる言語の分しか情報はゲットできないわけで。特に日本語は、日本語で発信してる情報は、日本人が発しているわけで、それ以外の人の視線は見えにくい。
    韓国などの過剰な自意識もそれに類するものではないかと思う。

    >日本人の誰もが何となく「日本は独特である」ことを知っていて
    「知っている」というより、「思い込んでいる」のほうが近いと思う。
    実際、外国の文化などどの文化と比較するかによって、つまり相対的に見れば「独特さ」は変化する。しかし、その辺がわかっていない日本人が多いため、西洋から見て「独特な日本文化」というのを画一的に信じているのではないか。

    • のののさん、こんにちは。
      貴重なご意見ありがとうございます。

      私もこの記事を書くとき、「近代まで遡るのは遡りすぎかも?」と思いました。
      しかし、近代史というのは一国のアイデンティティーを語るうえでは外せない要素ではないかと思います。例えば、フランスでは年中ストライキがあるのですが、これは国民の「自分たちが国の政治を変える」という意思からくるものであり、1789年のフランス革命が発端になっているという説があります。

      ペリーの黒船来航により、日本人の排外主義・白人コンプレックスが生まれたという説。
      大奥以降、一夫多妻制はなくなるも地位のある男性が妻とは別に愛人をつくる風潮は広く見られたという事実。
      などなど、調べればいくらでも現代の○○人のアイデンティティーに繋がりそうな事実や仮説がたてられる。

      まぁ、説というのは曖昧で形があるものではないので、どれが正解で不正解か?となると、自分で判断するしかなくなるわけですが。

      >日本人の誰もが何となく「日本は独特である」ことを知っていて 「知っている」というより、「思い込んでいる」のほうが近いと思う。

      うん、なるほど。確かにそうかもしれないですね。欧米と比べれば「独特」であっても、アジアと比べれば「当たり前」だったりしますし。

  2. 実は私は最近  ”日本人ってただの自意識過剰? ”と思うときがありまして・・
    日本人ならでは理解できる繊細さ、とか 敏感な日本人の舌でなければ分かりえない・・
    とか普通にメディアで喧伝されていて、ちょっと・・自意識過剰なんでは??
    と突っ込みたいけどそれは許されない断定口調が多くて、焦ってしまいます。

    昔私がフランスに住み始めた最初の頃に”ここが変だよ・・”って外国人が集まって日本の文化
    の批判をするTV番組があって、公共の電波で在日外国人の主に偏見と独断に満ちた批判を流す
    内容に非常に疑問を感じましたが、最近は”クールなんとか・・”と言って、在日外国人が
    気味が悪いくらいに日本の文化を誉めまくる・・。これにもまたまた疑問を感じまして
    批判にせよべた褒めにせよ・・なんとなくバランス悪いように感じます。

    私もだからなんで日本人って外の反応を気にするんだろう?って思っていたところなんですよね。

  3. 私は別に相手が外国人だろうが日本人であろうが、多くの割合で、相手の考えていることを気にする気質が日本人の根底にあるためではないかと思います。
    もちろん全ての人とは言いませんが、島国で育ち、他国と陸続きで育った国の方たちとは多少なりとも国民性の違いの影響はあると思いますし。
    おそらく多くの方が、小さい頃から、学校や親などから”一人はみんなのために、みんなは一人のために”と、周りと協調しながら生活するように教えられて育ってきたかと思います。
    周りと協調するためには、相手の立場になって物事を考えたり、相手の気持ちを考えたりすることが大切になります。
    そのため、相手は自分のことをどう思っているのか考えるようになります。
    個人と個人の関係から、国と国との関係になったとき、結果的に他国の人(他人)たちは自分(日本)をどう思っているのか?気になってしまうのではないでしょうか?

  4. 「他人の目に自分がどう映るか」という他者の視線を常に意識する社会意識も関係あるんじゃないかなぁ

    海外の人は他人の評価を日本人ほど気にしていないように見えるよ
    海外のなんらかの宗派に属してる人は「神に背かないかどうか」を気にするけど
    日本人は「他人の目に叶うかどうか」が行動基準になっている
    だからじゃないかな

    日本人にとって物事の善し悪しを判断する基準は天でも神でもなく所属コミュニティの人の視線なんだよ
    だから「自分」と「お隣さんの視線」を「日本という国」と「何か」に置き換えるとそこが「海外の人の視線」て事になるんじゃない?

  5. 良い意見だと思う。
    僕はTVで日本在住の外国人が
    「日本はユニークだ」
    って言ってたことから外国ではどうなのか気になるようになった。
    その過程で外国と日本の違い、
    つまり外国人から見た日本はどう見えるのかが気になったんだと思う。

  6. Please forgive that I’m writing in English. My written Japanese isn’t as good. Many Japanese people seem to think that all “foreigners” are constantly evaluating the Japanese culture and Japanese people. And they seek approval from them so much. Like one of the comments here said it’s extreme, it’s either “Japan is not good enough” or “the rest of the world is admiring Japan”. Not sure why the Japanese media likes to spread the ideas like “Japan is unique” and “only Japanese do…”. It’s always Japan vs. the rest of the world. They need to understand that there is no “rest of the world”. What there is is other individual countries and cultures out there. There are a lot of other “unique” and “strange” countries out there and they are all busy thinking about themselves everyday. So there is no “rest of the world” waiting for Japan to see what it’s going to do next. It’s time to get on and start thinking about what YOU think of yourself.

  7. ぶっちゃけ一部の若者だけでしょ、外国人にどう思われるのか
    俺はむしろアニメを違法視聴している癖に上から目線で作品を
    ダメ出し、しかも目が大きいアニメキャラを観て白人に憧れる
    黄色人種の日本人(笑)とバカにする白人国家の反応を観て、
    「ああ、やっぱり海外は日本よりもバカが多いな」とホッとします

    日本人は海外の反応を気にする国民と決めつけるのは、明らかに単細胞でしょう
    日本人ほど自分の生活圏にしか興味がなく、政治や外国の紛争や文化に興味はない
    国民はおりません むしろ日本が海外で紹介されていたとしても、その紹介した国へ
    旅行しようと言う富裕層は殆どいません やはり日本人は日本語が通じる国内が好き
    せいぜい「日本を好きな人が居るのか、嬉しいね」と思うだけで、隣国やアメリカの様に
    「俺の国は世界中から尊敬されている。なんて俺の国は凄いんだ」と自惚れる人はごく稀です