目と本

「日本人が英語苦手な理由」というスレを見て驚いた。英語を勉強しない理由として、「必要性がないから」というのは何となく理解できる話ではあるが、

日本語だけで世界の知識が手にはいるから。

どんな分野でも翻訳されまくってて、ほとんど日本語で読めるからなあ。話せるようになりたいって動機があんまりなんじゃね。

この2つの回答には度肝を抜いた。この2人は日本語だけで世界の情報を網羅していると本気で思っているだろうか?日本語以外の言語で書かれた新聞や雑誌、インターネットサイトやテレビを見ている海外在住者にとっては明白なことであろうが、世の中に出回っている情報のなかで日本語に訳されているものは希少である。世界的に大きなニュースなどは日本語にも翻訳されるが、それ以外の日本語に翻訳されたモノというのは、どれも日本人にウケそうなもので、“日本中心”の記事が多い。いやいや、世界はそんなに日本中心に回ってませんから!と突っ込みを入れたくなるような代物が多いというのが持論である。

翻訳がなんちゃら…というのは、単純に「数」だけの話ではない。日本語に翻訳されたものしか読めないというのは、常に原文を翻訳した者によって「読解」を操作されている、とも言える。例えば、英語から和訳された文章でこういうのがあったとする。

「リチャードはその時、日本に行きたいと言いました。」

さぁ、この文章の「行きたい」というのは原文ではどうなっているのだろうか?単純に行ってみたい”go”なのか、訪問したい”visit”なのか、滞在したい”stay”なのか、住んでみたい”live”なのか、旅行したい”travel”なのか?たくさんの可能性があるが、どれもニュアンスが微妙に違う。そして、ここで「行きたい」という日本語を選んだのは翻訳者。もちろんプロの翻訳者は原文の意味とできるだけ近いように訳すわけだが、日本語に翻訳されたものを読むというのは、言葉のニュアンスの決定権をいつも翻訳者に譲るということである。

つまり、日本語に翻訳されたものと原文はいつもイコールではないのである。

だから、世界中で翻訳されているフランスの児童小説『星の王子様』は、フランス語で読むのが一番良い。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが、フランス語の単語のなかからどの言葉を選び、どんな言葉遊びをして、どんな“音”で読む者を楽しませるのかがわかるからである。

ル・プティ・プランス

語学を学ぶか否かというのは個人の自由であるし、ここでお節介なことを言うつもりもないが、日本語に翻訳されたもの以外の文章が読めるというのもまた、外国人とコミュニケーションがとれるということと同様、語学習得の醍醐味である。私は英語とフランス語をそれなりに、韓国語はウケ狙い程度に習得したが、「中国語ができたらなぁ」とか、「イタリア語とスペイン語もできるようになりたいなぁ」と思う。

それだけ、世界が広がるからだ。

写真:Felipe Morin

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