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 KYという言葉がユーキャンの流行語大賞に選ばれてから5年。当時のように頻繁には使われなくなったものの、今だ日本社会における「空気読め論」は根強い。「空気を読む」に関しては、KYという言葉が誕生した頃から賛否両論が絶えないが、「空気を読む」という言葉自体が存在しない海外で生活していると、日本の「空気読め論」もあながち悪いことではないと思う。

集団主義社会のアジアとは違い、個人主義社会の欧米で暮らしていると、私たち日本人の常識では考えられないような、ビックリするほど空気が読めない人にたまに出会う。

これからみんなで楽しく飲もう!という時に苦労話を始めて盛り下げる人、カップルが真剣に別れ話をしている最中に割り込んで入って「DVD貸して」という人、大勢が集まるパーティーでいきなり怒りだし険悪なムードにする人…。

「おいおい、ちょっとは空気を読めよ!」と突っ込みたくなる場面は日本にいた頃よりもよくあるし、こんな時日本人同士なら場の空気を読んでくれるんじゃないか?と思ったりもする。空気を読むという行為が「自分の主張や都合を後回しにして他人の心情を思いやる」というのなら、それは人間的にも賞賛すべき行動だし、いちいち言われなくても『察する力』があるのが私たち日本人の良い点だとも思う。

 しかし、「空気読め」という言葉自体は受け入れがたい。「空気読め」という批判が日本人のコミュニケーションをダメにすると思うからだ。

そもそも「空気読め」という言葉がない欧米社会では、上の例に挙げた「場の空気を読めない人」にどのように接するのだろうか。「空気が読めないこと」を批難する場合、何と言って注意するのだろうか。

欧米では「空気読めよ」という便利で曖昧な言葉がないため、例えば大勢が集まるパーティーでいきなり怒りだし険悪なムードにする人に対しては、「その話は後でしよう」と切り返したり、「何でそのことで今怒り出すんだ!」と逆ギレしたり、「今日はせっかくみんな集まったから楽しく過ごしたいんだ」と言って自分の気持ちを伝えたりする。

つまり、「空気読めよ」という批判はどれも他のフレーズに言い換えることができるわけだ。「空気読め」と言って個人を批判すれば、自分の考えや意向、思っていることを明確に言葉にする必要がないので、話者のコミュニケーションの怠慢とも言えなくはない。自分を含めた“周りの意向”を非常に曖昧な「空気」という言葉で表現し、空気にそぐわない個人へ責任転嫁しているだけの話である。「空気読めよ」と言ってしまえば、少数派である個人を批難することで話が終わってしまい、そこから先のコミュニケーションが生まれない。だいたい「空気読めよ」と注意すると「自分は多数派でお前は少数派なんだ」というニュアンスがあるが、自分が多数派であるという考え自体が思い込みだったりもする。

日本語という言語は、主語、動詞、目的語がはっきりしてないと会話にならない英語やフランス語と比べて、非常に曖昧な言語だ。しかし、曖昧な日本語を使うからこそ、私たち日本人はコミュニケーションに気をつけなければならないと思う。先ほど、いちいち言われなくても『察する力』があるのが日本人の良い点と述べたが、いつでも相手が『察してくれる』と期待するのは間違っていると思う。「察してくれる」というのは付加価値的なものであるべきで、基本的に人間同士がわかりあうには自分の考えをきちんと言葉にしなければならないと思うからだ。言わなくてもわかってくれるだろうと推し量るのは話者の怠慢であり、わかってくれなかったときに「空気読めよ」と批難するのは「私は全部人任せだ」と言っているのようなものだ。

 第2に、「空気読め」という批判が日本人のコミュニケーションをダメにする理由として、日本人各個人の「異」への寛容さが失われるという危惧が挙げられる。

「空気読め論」反対派は「個性が失われる」と言うが、個性がどうのこうのという議論は抜きにしても、「空気読め」という言葉にはどうしても少数派排除のニュアンスが含まれてしまうのではないか。

ウィキペディアによると「場の空気」の定義は集団や個々人の心情・気分、あるいは集団の置かれている状況を表す言葉である。つまり、「空気読め」は空気(多数派)を読めない・わからない個人(少数派)を批判する言葉であり、人とは違った考えや行動をとる人を無条件かつ短絡的にダメなものだと決めつける言葉であると言える。少数派である「異」を排除するという発想自体は、子どもがやっているいじめと何ら変わりない。

それに、みんなが一様に同じような考え方や行動をとる国、社会というのはいかがなものかとも思う。みんなが右を向けば右を向き、左を向き始めたら左を向く。そんな人ばかりでは発想の転換もないし、ひいては成長もない。どこに行っても同じような人に出会い、同じような会話をする、そんな社会はおもしろくもなんともない。それに、天才と言われるニュートンやアインシュタインなどの科学者や発明家はみなある意味で、「空気読めない人」だったのではないだろうか。

相手を思いやる人間力は日本以外のどこに行っても重要。しかし、「空気を読まない」人こそがこれまでの世界を作り上げてきたのではないだろうか。

「空気読めよ」と批判している人こそ、本来なら批判されるべきだということにそろそろ気が付くべきだ。

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30 コメント

  1. いい記事でした。
    他人に合わせてるだけの自分の意見を持たないボンクラに「空気読め」とか言われたくないですね。
    村社会の田舎者の思考回路で生きてる奴が未だに多いんだよね。
    島国根性って奴かな?
    優秀な人の足を引っ張って下のレベルに合わせようとする風潮にはうんざりしているよ。
    同じ島国でもイギリスなんかはアメリカやカナダと同じ言葉で交流できるから羨ましいね。
    日本社会は未だに鎖国中ですよ。

  2. 空気を読む人より読めない人の方が偉いと言うのは、おかしい。
    多重知能の理論でハワード・ガードナーが説いた人間の固有の知能八つの内の一つ、
    対人的知能(他人の意図や欲求を理解する能力)が明らかに優れている。
    対人的知能に劣る人間が優る人間よりも、
    その他の知能で優れているとする研究結果を私は知らない。

    そもそも、これは日本国内での話であって
    外国でのコミュニケーションと比較する事自体が間違っている。
    あたかも外国人のコミュニケーションが日本人のそれよりも
    優れていると誤解を与えてしまう内容。
    空気を読むという行為はコミュニケーション能力の
    上位に位置するものだと理解しなければならない。

  3. 情報、古いんじゃね?
    最近では、AKY(あえて空気を読まない)とか、MKY(マジで空気が読めない)って言うけどな。

    それはともかくとして、
    場の空気にそぐわないの少数に対する批判である言葉はなぜダメなのか?
    多数派を批判する言葉も山ほどあります。
    多数と少数とが存在する現実で、多数決をルールとする民主主義で成立しているのが
    われわれの住む世界です。
    そうであるいじょう、少数派への批判だから、という理由で
    「空気を読め」という言葉を批判するのは、違和感を覚えますね。

    また、日本人には理解しづらいかも知れませんが、
    日本とイスラエル以外の先進国はキリスト教国家です。
    ゆえに、日本人が「空気」と呼ぶものは、「聖書」の中に書かれたものであり、共有されています。

    そういう意味では、日本人の使う「空気を読め」という言葉が諸外国に無いとしても、
    「暗黙の了解」は存在しています。

    また、イギリス等では、コモンセンスと呼び、また、TPOという言葉もあります。

    日本の「空気を読む」ことだけが、特異だあるとは、特に思えません。

  4. 海外と日本のコミュニケーションの違いを優劣をつけることで説明しようとしていませんか?
    それこそ「海外のコミュニケーションの方が優秀な例が多いんだから異端の日本は『空気を読め』」といっているように見えて本末転倒。

    「空気を読む」ことと「自分の意見を持たない」ことは全く違うものです。
    「空気を読む」ことと「多数派の少数派排除」は全く違うものです。
    それを混同しないでください。
    違いが理解できるまで空気を読んでみたらいかがでしょうか

  5. 空気を読めるってことは優位なコミュニケーション能力だろう。

    他人の感情を推し量れるのは日本人の強みだし、
    空気を読んだからといって、他人に流されて生きることにはならない。

    ニュートンやアインシュタインを引き合いに出しているが、
    そもそも海外にも空気を読む文化はあるし、
    「和を以て貴しとなす」が今よりも強く教えられていた明治時代なんかにも、
    世界を変えるほどの偉業を成し遂げた日本人はたくさんいる。
    (野口英世や北里柴三郎、鈴木梅太郎とか)

    空気を読まないことよりも、安易に日本文化を卑下することこそ日本人の悪い癖だと思う

  6. 空気を読むは多数派迎合では無いですよ。
    日本を離れすぎて、忘れちゃったのか?そもそも、分らないほど幼いうちに日本を離れたのか分りませんが、その他大勢の中の2人が深刻な話を始めた場合、その他大勢はその様子をそっと見守ります。
    より深刻になったら、止めよう。二人だけで解決できそうならそっとしておこうということで。
    その間その二人に注視しつつも、二人の話の邪魔にならない様に、でも、こちらが気にしていることを、気づかせない様に、うるさすぎずしんとなり過ぎない様に気を使う。
    こういう気遣いが、「空気読め」です。
    今、どういう状況であるかを的確に判断し、状況に合わせて対応しなさいということです。
    それが分らないのは、未熟とみなされるのであって、少数意見の排除ではありません。
    空気読めない=未熟
    空気読め=大人になれor状況をちゃんと判断しろ  です。
    もちろん、分らない人には、分る様に教えてあげることは必要でしょうけど。

  7. いやー全く以て同意するよ。
    KYは職場では危険予知の略語でもあるんだけどね。

    日本人は空気を読んでくれることに慣れっこになったんだと思う。
    だから少しでも不快な事がすべて許せなくなっちゃったんだろうね。

    それと間違った使い方をする人が多い。
    場にそぐわない行動をとって水を注すことに対して空気を読まないと批判するのは善い。
    だが、議論に異を唱えるものに空気を読まないと批判するのは明らかに誤用である。

    これでは議論する意味がなくなるのだ。
    後者は自分の意見を通し正論とするために邪魔なものを論理ではない方法で批判するために使われる。
    この時点で論理で敵わないとアピールしているようなものなのだ。

    つまりKYを多用する者は、
    何も考えるな俺様についてこい!
    というような思考停止を共有し、独裁を図ろうとする傲慢な人間であると思われても仕方がない。

    空気を読めという空気こそ、真に空気を汚していると言いたい。

    • あなたの文に大体は同意。

      しかし「誤用である」って言ったって
      そんな説明書きなんか書いてないし
      説明書きも空気になってるという本末転倒なバカらしい話なんじゃないか?

      まあ多数派にとっては隠蔽しやすい言葉だからなー

      「日本語という言語は、主語、動詞、目的語がはっきりしてないと会話にならない英語やフランス語と比べて、非常に曖昧な言語だ。しかし、曖昧な日本語を使うからこそ、私たち日本人はコミュニケーションに気をつけなければならないと思う。先ほど、いちいち言われなくても『察する力』があるのが日本人の良い点と述べたが、いつでも相手が『察してくれる』と期待するのは間違っていると思う。「察してくれる」というのは付加価値的なものであるべきで、基本的に人間同士がわかりあうには自分の考えをきちんと言葉にしなければならないと思うからだ。言わなくてもわかってくれるだろうと推し量るのは話者の怠慢であり、わかってくれなかったときに「空気読めよ」と批難するのは「私は全部人任せだ」と言っているのようなものだ。」

      だからこそこの記事で筆者は
      「空気読め」ではなく

      「欧米では「空気読めよ」という便利で曖昧な言葉がないため、例えば大勢が集まるパーティーでいきなり怒りだし険悪なムードにする人に対しては、「その話は後でしよう」と切り返したり、「何でそのことで今怒り出すんだ!」と逆ギレしたり、「今日はせっかくみんな集まったから楽しく過ごしたいんだ」と言って自分の気持ちを伝えたりする。」

      のような対応を欧米ではそうやってるって言ってると思う。

  8. “Peer pressure=同調圧力”とは結果的にどう違うのかな?        とか
    米人がゴスロリを見て「日本人は寛容だね」って言ったのはなんで?    とか
    例えに出すならガリレオ・ガリレイやダーウィンの方がいいのでは?    とか
    「空気を読めない人」が結果を出すと「異端児」として尊敬されてるけど? とか
    コメント欄のステマな人は、軍国主義・植民地主義って知ってる?     とか
    頭の中はハテナでいっぱい。

    でも、いちばん腑に落ちないのはここ↓
    >「空気読め」は空気(多数派)を読めない・わからない個人(少数派)を批判する言葉であり、
    >人とは違った考えや行動をとる人を無条件かつ短絡的にダメなものだと決めつける言葉であると言える。
    これは「空気を読め」って言った人に対しての無条件かつ短絡的にダメなものだと決めつけじゃないの?
    場面によっては「その通り」だけど、それは使われた場面によるでしょ?
    まさか、筆者のそう思う場面を読者に「察して」ってこと?

    • 欧米のようなキリスト教社会は、空気読めなんて言う必要もないほど暗黙の了解事項があるからね。
      保守さでは日本の比ではないだろう。

  9. 空気読めって言葉だって日本で流行ったのは最近だよ。それまでは郷に入っては郷に従えって言われてた。
    日本の動画で空気読めって台詞は英語字幕でread a moodって翻訳されてたし、それで通じる。

    >みんなが右を向けば右を向き、左を向き始めたら左を向く。そんな人ばかりでは発想の転換もない
    日本ほど変わったものが好きで、異質なものを作り出す国はないって海外からも言われてるんだけど。

  10. 「空気読め」とは、なんとも日本的です。
    「和」を大切にする日本人ならではですね。
    ただ、全体主義的な怖さも感じます。
    「差別化」とも見えます。
    モテ、非モテ、空気が読める、空気が読めない、とか、いろいろありますね。
    日本国内ではそんなに怖いことでもなく、きっと楽しんで言い合っているのでしょう。
    でも海外の人が聞いたら、戦慄したりするのです。
    本当に、それを言われて、傷ついている人はいないのですか?
    確かに、アインシュタインは空気読めなさそうですね。
    もしかしたらエジソンも。

  11. コメ書き込む人の多くは、ブログ主の最近の世界から見れば非常識な労働観や頓珍漢な愛国心批判記事に腹を立てているのか、「重箱の隅を突いて、皆で叩くという場の空気」を読んでいらっしゃるようで…。

    結局腹を立てている人は、感情が先走り、回りの見て「日本批判する奴を叩いている」という場の空気を読んで叩いているだけであって、記事内容の本質を理解していない。つまりそうゆうのが問題なんであって…。

    311の原発災害で放射性プルームが首都圏を襲っていてもみんな出社しているからと「場の空気」を読んで、外出し、(外資系企業や大使館職員、米軍の家族などの外国人は一斉に西日本や国外避難したが)余計に被曝した人がどれだけいたのだろうか。

    首都圏でもホットスポットが各地で発見され、放射能管理区域ができてしまったのに、みんな普通に過ごしているという場の空気を読み、大したことないと安心し、汚染基準も甘く、世界が輸入停止している日本の食品も、みんな食べてるからと場の空気(世界の空気は読めない?)をよみ、パクパク食べた。

    そして場の空気を読まず、西日本や国外避難した外国人、疎開した親子、ホットスポットを問題視する人、食べて応援をしない人を、ケシカランと叩いている人が、今回の記事でも批判コメントしている人とダブって見えるのは私だけだろうか?

    さて一体これからどのくらいの人が、場の空気を読み過ぎたことで後悔することやら…。

    「場の空気を読む」

    というのは「諸刃の剣」である。強みでもあり、弱みでもある。

    今回の記事は説明不足な部分もあるかもしれないが、これが本質だろう。空気を読むべきTPOもあるが、同時に空気を読まないべきTPOも存在するということ。そして日本人は、空気を読まないべきTPOが分からないし、読まない人は常に悪いという認識をしがち。

    やはりこの問題は、日本という島国、自分の意思や気持ちを言葉で伝えたり、主張する西洋圏の人々と触れ合う機会が皆無の国にいると、異論を唱える者とのコミュニケーションや議論をするより、空気を読む、読めとなり、それ故に、物事の一側面しか認識できず、その認識が価値観を形成し、やがて社会習慣や常識を作るが、当然偏ってしまう。これが原因で読まないべきTPOが分からないし、読まない人は常に悪い、ケシカランという認識に陥るのだろう。

    村社会や村意識というのがまさにそれである。先ほどの311原発災害の例は、その空気を読むことによるデメリットが噴出した例である。

    さらに外国人の友人がおり、外国で暮らしたことがある私も、日本人は、普段から空気を読み過ぎていると思うし、異論を唱える少数派は、なぜ異論を唱えるのかを聞き、議論する前に、空気読め!と口に出して批判するのも行き過ぎてると思う。その言葉には、やはり多数派の行動、意見、価値観、常識は正しい、お前は間違ってるという意味も含まれているといっても過言ではない。

  12. コメ書き込む人の多くは、ブログ主の最近の世界から見れば非常識な労働観や頓珍漢な愛国心批判記事に腹を立てているのか、「重箱の隅を突いて、皆で叩くという場の空気」を読んでいらっしゃるようで…。

    結局腹を立てている人は、感情が先走り、回りの見て「日本批判する奴を叩いている」という場の空気を読んで叩いているだけであって、記事内容の本質を理解していない。つまりそうゆうのが問題なんであって…。

    311の原発災害で放射性プルームが首都圏を襲っていてもみんな出社しているからと「場の空気」を読んで、外出し、(外資系企業や大使館職員、米軍の家族などの外国人は一斉に西日本や国外避難したが)余計に被曝した人がどれだけいたのだろうか。

    首都圏でもホットスポットが各地で発見され、放射能管理区域ができてしまったのに、みんな普通に過ごしているという場の空気を読み、大したことないと安心し、汚染基準も甘く、世界が輸入停止している日本の食品も、みんな食べてるからと場の空気(世界の空気は読めない?)をよみ、パクパク食べた。

    そして場の空気を読まず、西日本や国外避難した外国人、疎開した親子、ホットスポットを問題視する人、食べて応援をしない人を、ケシカランと叩いている人が、今回の記事でも批判コメントしている人とダブって見えるのは私だけだろうか?

    さて一体これからどのくらいの人が、場の空気を読み過ぎたことで後悔することやら…。

    「場の空気を読む」

    というのは「諸刃の剣」である。強みでもあり、弱みでもある。

    今回の記事は説明不足な部分もあるかもしれないが、これが本質だろう。空気を読むべきTPOもあるが、同時に空気を読まないべきTPOも存在するということ。そして日本人は、空気を読まないべきTPOが分からないし、読まない人は常に悪いという認識をしがち。

    やはりこの問題は、日本という島国、自分の意思や気持ちを言葉で伝えたり、主張する西洋圏の人々と触れ合う機会が皆無の国にいると、異論を唱える者とのコミュニケーションや議論をするより、空気を読む、読めとなり、それ故に、物事の一側面しか認識できず、その認識が価値観を形成し、やがて社会習慣や常識を作るが、当然偏ってしまう。これが原因で読まないべきTPOが分からないし、読まない人は常に悪い、ケシカランという認識に陥るのだろう。

    村社会や村意識というのがまさにそれである。先ほどの311原発災害の例は、その空気を読むことによるデメリットが噴出した例である。

    さらに外国人の友人がおり、外国で暮らしたことがある私も、日本人は、普段から空気を読み過ぎていると思うし、異論を唱える少数派は、なぜ異論を唱えるのかを聞き、議論する前に、空気読め!と口に出して批判するのも行き過ぎてると思う。その言葉には、やはり多数派の行動、意見、価値観、常識は正しい、お前は間違ってるという意味も含まれているといっても過言ではない。

  13. 空気読めというのは、自分と同じになれ、というのではない。
    相手が何か言い出す前に、雰囲気から相手の感情を察すること。
    相手が不快に思ってるのにこっちの主張ばかりゴリゴリと鼻先にこすりつけるようなことをするな、ということだ。
    不快を察したら持ちかけ方を工夫する。
    そうやって空気を悪くしない努力をする。

    空気読めってしょっちゅう言われてるならこれができてない。
    意見が違うことを責められてるんじゃない。
    その努力をしないことを嫌がられてるんだよ。

    • そういう風に空気読めって言う人もいる。俺的にはそれは良い使い方です。あるいは皆で話していて、一人違う意見を言ったとして、そこで「空気読め」って言う人もいる。こういうのは俺的にすごいむかつくし、この使い方も非常によく見かける。

      • このaとかいうのは脊髄反射で書いてるバカだから。

        筆者は「空気読め」にはいい使われ方もあるけど←あなたの主張と同じ
        悪い使われ方がたくさんあるから←問題点。

        別の言葉に言い換えた方がいい

        文の中で書いてるのにね。

    • あのさ筆者は「空気読め」にはいい使われ方もあるけど←あなたの主張と同じ
      悪い使われ方がたくさんあるから←問題点。

      別の言葉に言い換えた方がいい って言ってるんだけど?

      文最後まで読まないで理解してないから筆者が言った言葉を反復するだけのコメントで終わるんじゃないの?

      脊髄反射は止めろ。

  14. 面白い記事でした。
    気にしてなかったけど、空気読むって言葉に
    同意した時と、はあ?って聞き返した時と両方ある気がします。
    気にしないでって言葉に似た感覚ですね。
    ウソです。気にしないでは100パー気にさせられます。
    空気読むって言葉をいつも使ってると思われる人が
    この記事に反論しても説得力がないことだけは確認できました!

  15. […] 以前書いた記事では、「空気読め」と言って非難する人を批判しましたが、日本人の「空気を読もうとする意識」は素晴らしい長所だと思います。自己主張がないと揶揄されることもある日本人ですが、その分欧米にはない「協調性」に長けているのでいいのでは?と私は思います。日本という小さな敗戦国が戦後ここまで経済的に成長することができたのも、協調性を重んじたチームワークがあったからこそできた偉業だと思います。 […]

  16. 協調性よりまず自分の意見が自由に言えて個性が出せてそれが認められるダイバーシティ社会が前提でその上の協調じゃないかな。反論反証や自らの考えのない本音を言わないただ協調するだけの姿勢はその人の意見が反映されず多様性が反映され共生連帯できるよい社会にならないからむしろ協調性がなく不満不平の原因なんだよね。
    まずは個の力だよ。サッカーで海外というアウェイのミランに行って干されてもベンチ入りさせられても言うべきことを監督にも言って活躍しファンに喜んでもらえるような自分のプレーを貫きそのうえでチームで結果出してる。
    個性を重んじるああいう高次元の協調が良いよ。

  17. 場の空気なんて考えず研究に没頭するアイシュタインやエジソンテスラがいなければ現代の社会は成り立たない。
    「空気」を読み合う生きづらさ
    承認依存社会のストレス論–萱野稔人氏
     例えば、現在のいじめは、「空気」を読むことのストレスから生まれています。つまり、互いに「空気」をうまく読み合わなくてはならないという緊張のなかで、誰かをスケープゴートに仕立てることでガス抜きを行っているのです。合コンで“いじられ役”がいると、最初の緊張した雰囲気が緩和しますよね。あれに似たような関係処理が、いじめの場合ではより攻撃性を強めてなされているのです。 巷で言われるように、いじめは子供たちのコミュニケーション能力が低いから、あるいは他者に対する気遣いがないから、起こっているのではありません。逆に、「空気」を読めという圧力のなかであまりに高いコミュニケーション能力が求められるから、誰かをいじめずにはいられなくなっているのです。
    日本人特有の過剰同調性は問題視されるべきだね。
    海外の空気読まなくて良いよ派と空気読め論が共存するには居心地良い場を作る為に双方ともが無理に群れるのをやめる自立が重要である。偏っていても悪くない。偏りの無い人なんて存在しないから。
    一人(プライベートだと1人旅等仕事だと1人親方フリーランス個人ワーカーノマドワーカー)だと他人に気を使わなくて良いし空気読まなくて良いから空気読め論派は単属行動だといじめられなくて済むし空気読まなくて良いだろ派は自由に楽しめて良いぞ(えびすさんが評価されてるのはそこ。自由に本音をはっきり言える気持ちよさね)。

  18. はじめまして。いつも興味深く読ませて頂いています。
    激しく同意してしまいました。そして、反対意見のコメントを読んで、色々と考えさせられました。
    「空気読め」にも、色々なケースがあると思います。
    『みんなが楽しんでいるのに水を差すような言動や行動をする』という場合は、確かに、一時的な感情を押さえて、その場の雰囲気を壊さない様に気を遣う、というのは必要だし、それが出来るのは日本人の良さだと思います。
    ただ、リリーさんが書いているのは、『多数派=正義』という価値観を元に、「おまえは少数派=悪なんだから黙ってろ、止めろ」という意味で、正義を振りかざすように「空気読め」と言う連中の事なんですよね。だからこそ腹が立つんですよね。そういう意味での「空気読め」は、日本人の良くない部分ですし、改めていかないといけないと思います。
    と言っても、良い悪いの境界線は人それぞれなので難しいですね。単に日本人が欧米の個人主義者みたいになればいい、というほど単純な問題では無いですし。ただやっぱり、『人はそれぞれ違うのが当たり前で、それは悪い事でも何でもない』という価値観を受け入れていく必要があると思います。それがいじめやストレス社会を防ぐ事に繋がっていくはずなので、日本人の幸せな未来の為にも、時代に合わせた意識の変革みたいなものが必要なんじゃないでしょうか。一気には無理だと思いますけど、少しづつでいいので。

  19. ここの米みていても「こんな著者は殴れ・●せ・素性を晒せ」
    ってコメントが連発していたとしたら、一緒になって同じ趣旨を書き、叩く人がいるだろう。
    そういうのには寒気を覚えざるを得ない。もし、私がどこかの時点で割って入って「●すなんて、どんな意見であってもいけないよ」とでも書いてそれが受けたとすると、私の後続からは、「上で書いてる人は恥」のように一気に意見が変わる。
    同じ人が正反対の意見で書いているのなら滑稽だし、それこそ不気味の極みと言うしかない。
    お前は人工知能か何かか?と。

    今の日本は、個人の思想とか技術を押しつぶすぐらいの圧で、こういう同調が発達してしまってはいないだろうか。とすれば、そういう社会は核となる思考も、新しい発明も無くなって、滅びる以外の道を無くすと思う。YOUTUBEでもよく見かけるのだが、ガールズバンドが演奏しているような動画に、「女だから」と言う理由しか見いだせないかたちで集団の叩きが入っていたり、「鉄道模型を作った」とかそういった特段欠点の見られない動画に一人の狂人が張り付いて罵倒していると、それにつられて反射する人が少なくない。個人の創意も、技術も、趣味も、勤勉も、「集団意識」(悪意がある誰かが作ったものであることが多い)の中に溶かし込んで、その集団意識と異なっていたら全否定するような世の中がいいのだろうか (逆に集団の風潮と合っていたら、泥棒でも詐欺でも支持するような世の中がいいのだろうか)。

    古い言葉だが「列強」の国たちは何処も、個人主義で個人同士の利害のすり合わせで動こうとしているし、最近失敗に向かっている移民問題も、そういうすり合わせ思考への理想が過剰になり過ぎて「話せば分かり合える」という考え方で導入されていたぐらいだ。
    個人の考えというのは無いのだろうか。●す、殴る と書かれてあったとして、それが道徳的に法律的に許されないし、あまりにも過剰だと瞬時に判断できるほどの「個人性」も発達していないとしたら、恐ろしい事だ。
    しかし、発達していないのだろうな、という節の日本人たちはそれなりにネットに存在している。そんな酷い事書くのは隣の特定の外人だ!といっている人がいるが、いや、日本人だな

  20. ここにも右派の人が多いみたいだが、私も右派で合理的な理由から隣の国を嫌っている。
    あそこは、空気読めが日本以上に優位だ。そして、親日派の親戚がどんなに素晴らしい学説を発表したとしても、
    「集団の風潮」に合わないということで全否定されることが目に見えている。
    日本以上に集団主義が優位なところがあるというのは想像しにくいが、私はあると思う。いや、現に日本の中でも3大都市圏では想像も出来ないような同調的な地域を知っている。そういう地域では、夜10時に外を散歩でもなんでもいいが、ほっつき回っていると、翌日の夜10時にはその地域の人すべてが「不品行な犯罪者予備軍」としてその青年とかの噂をしている(実際にある)。
    隣のKという国の同調も、おそらくそういう構造を持っているのだろう。そういう構造がある場所では、「私は夜型です(親日です)」と言明することは事実上できない。こんな社会なら、偽善・ウソがみちみちるのは火を見るよりも明らかだろうし、嘘にまみれてその中で嘘を内面化し、真実だと考えるようになった状態で生きていくしかない。シャツにくっ付いた赤いワンポイントの円一つ、それを着ていただけで、裏切り者になってしまうのかもしれないのだから。
    極端にいうと、同調を主体とし強調していった世の中の行き着く先というのは、そんなものだと思っている。ウソ、差別、偽善、偽の身分表示、大物ぶり、そういうネガティブなものが蔓延する。裸の王様、という童話はそういうエリアの事を言いたい物語の様な気もする。
    「正直」であるだけで、すべて撤廃できるのに。なぜそれをしないのかという事になる。
    フランス帰りだの親日派だの女だの、そういうのを抜きにして、この人の意見はここが良くてここが悪いと素直に言うだけで余計な前提付けや心の気持ち悪さが無くなる。自分は本当はこうなのに、ってのがあまり起こりにくくなる。
    何に縛られているのだろう。あなたが日本の反対意見をいっただけで皇室が滅びる反日意見になんて全くならないし、日本文化はもっと剛毅だ。1人の中国人が日本を政治的に罵倒しているとする、そんなものは勝手に言わせておけばいい。
    罰金なり集団の脅威でその中国人を封じようとするからおかしな話になる。外国人の誰かがラーメンに「意外にまずいね」とこぼしただけで、イジメるような事をするからおかしな話になる。
    イジメたところで、「やっぱりまずい」と確信を強めるだけだろうよ。