マダムリリーの2015年を振り返る...「テロの1年」から学んだこと

今日はいよいよ、1年で最後の一日です。みなさんにとって、2015年はどんな年でしたか?

今年1年を表す漢字は「安」でしたが、筆者がイメージした今年の漢字は「死」でした。今年は1月早々にシャルリーエブド事件があり、フランス中が恐怖に包まれ、その後のISILによる日本人拘束事件、11月のパリ同時多発テロ事件など、テロ事件の被害に遭われた方の「死」を身近に感じた1年だったように思います。

さらに、個人的なことで言うと、以前働いていたパリの日本食レストランのオーナーが突然死したことも、2015年に「死」について考える大きなきっかけとなりました。「オーナーに会ったら○○を話そう」といつもどおりに仕事に行き、オーナーの死を知らされ、「人ってこんな感じで突然いなくなれるのか…」ということを実感しました。

昨日まで元気だった人が、今日いなくなる。

将来の予定や約束をしていた人が、突然この世からいなくなる。

まだ話したいことがあったのに、まだ一緒にしたいこともあるのに、まだそばにいてほしいのに…。

たった今も、こんな思いをしているテロのご遺族の方がどれだけいるのでしょうか。そうですよねぇ、人っていつかは死ぬんですよ。誰が、どこで、いつ亡くなるかなんてわからないんです。

パリの同時多発テロ時に、次のターゲット地が私の住んでいるラ・デファンスだったことを知って脅えていたとき、あるご婦人は言いました。

あなた、そんな怖がっててもしょうがないじゃない。テロで死ぬなんて、宝くじに当たる以上の不幸な確率よ。人間、いくら恐れても、死ぬときは死ぬのよ。

そうなんですよね。今年はテロ直後や知り合いの死を目の前に、「旦那や家族が明日死んだらどうしよう?」と嫌な想像をすることが多かったのですが、結局どうすることもできないし、そんなときが来れば受け入れるしかないんです。テロで大切な家族を亡くした人も、今年大切な人を失った人も、それでも前を見て生きていかなくてはいけない。強くならなくちゃいけないんです。

しかし、自分の周りの人はいつかはいなくなることを前提に毎日を暮らしてみると、日常の小さな悩みや不安、うまくいかないと思っていることなんかが、全部どうでもいい、取るに足らないことのように思えてきます。いや、実際、そうなんだと思います。人の生死よりも大切なものってないはずですから。

あの人のこういうところが気に入らないと腹を立てたり、旦那とつまらないことで喧嘩したり、「あの人はこう思っているんではないか?」と邪推したり、認められたくて見栄を張ったり、弱気になったり、将来不安になったり、やる気を失くしたり…。

そんなこと全部、どうでもいいなぁって。大切な人を突然失う悲しみに比べたら、どれもこれもくだらないなぁと…。

何というか、「悟りの境地」といえば大げさですが、いろいろと吹っ切れちゃった感じがします。テロをいくら警戒しても死ぬときは死ぬわけですし、死を恐れて生きるより、生きている時間を素敵な時間でいっぱいにしようという結論に至りました。死とは“嫌なもの”の象徴ですが、嫌なもののせいで自分の人生が不安になったり、怖がったり、怒ったりしている時間ばかりになるのはなんとももったいないですよね。

そして、いつかは自分の前からいなくなってしまう大切な人がこの世を去るとき、「あぁいい人生だった」と思ってもらえるように、接していこうと思いました。それが“愛情”なのかな、と。

永遠に続くように感じる毎日にも終わりがある。終わりがあるから、今を生きる。

だから毎日を必死に生きろなんて、スパルタなことは言いませんが、笑っている時間が多い人生にできたら充実した一生になるのではないでしょうか。

 

 

2015年もあと数時間で終わろうとしています。みなさんの2015年はどんな1年でしたか。

世界中にいるマダムリリーの読者のみなさんに、幸あれ。

来年も笑顔でいっぱいの1年にしましょう。

写真:Susanne Nilsson

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