書評:自分で決められない人たち~「依存性」が日本社会を蝕む

日本人はまるで大きな子どものようだ…

日本で英語講師をしているアメリカ人の友人は、日本人をこのように形容していた。「日本人は自分の頭で考えようとせず、人生に対する考え方が幼稚」というのが彼の言い分だ。筆者はこれを聞いたとき、そんなことはないのでは?と疑問に思ったが、彼の話を聞くうちに、何となく彼の言う『日本人の幼稚さ』を理解できるようになったと思う。

なぜ、日本人は海外の人に幼稚だと言われてしまうのか。それは、日本人の性格の根底に他者への「依存性」があるからではないかと筆者は思う。そこで今回は、日本人の幼稚さのベースにある「依存性」、「他者に依存する日本人の心理」について書かれた一冊を紹介する。あなたの周りにも、こんな「自分で決められない人たち」はいないだろうか。

【著者紹介】 矢幡 洋(やはた よう)
京都大学文学部卒業。精神病院の相談室長などを経て、現在、矢幡心理教育研究所所長、西部文理大学講師、臨床心理士、作家。

「依存性性格者」は、日本人の最も典型的なパーソナリティーであり、日本社会解明の鍵になると本著の冒頭で著者は語っていますが、具体的に「依存性性格者」とはどのような人のことだろうか。

 

依存性性格者の特徴

心優しく、世話好きで、謙虚で、腰が低く、控えめで、明るく、付き合いやすく、自分がなく、自信がなく、他人任せで、実行力がなく、気弱で、保守的で、存在感のない人たち…それが依存性性格者だ。

具体的な例で言うと、昼休みの食事を誰かと一緒でないと必要以上に不安になるランチメイト症候群のOL。毎日メールをよこす自称親友の高校生。一緒にいる時間を引き延ばしたがる話好きな某課長など。

依存性性格者に共通するのは、一人ぼっちでいることが辛い寂しがりやな点。「自信がない」ために、「一人でも大丈夫」と思うことができず、他の人に何とかしてもらおうとするという根本的な心理傾向があるために、誰であろうと他人と一緒にいると何となくほっとするという面が出てくる、「群れたがり」。

つまり、自己主張が少なく、控えめで優しく、扱いやすい人たち。責任を問われない範囲であれば人の世話をするのが大好き。その一方で、明るく能天気で、シビアに物事を考えきれず、責任感も希薄で、主体性もなくただ他人の後ろについて回りたがる人たちである。

「依存はダメ」というわけではない

ここまで読むと、まるで依存性性格者はダメなのだと否定的にとることもできるが、著者は「自立的であるほど良い」というわけではないと著書の中で念押ししている。

ある実験によると、依存性性格者はそうでない人に比べ「他人の気持ちをすぐに察し、相手の要求を的確に見抜く能力が高い」いうことがわかった。日本の伝統的な対人関係で、相手がはっきりと要求するよりも前に、相手の要求を的確に見抜いて対応すると「気が利くねぇ」と評価される。日本では「気配り」が対人関係のスキルとして高く評価されてきたことからも、日本社会では洗練された依存性が文化のなかで重要な役割を果たしてきたことがわかる。

だから、ただむやみに自立性が高ければそれでよい、というわけではない。最終的に大切なことは、「依存性と、自立性との、ほどよいバランス」である。「人間は、いろいろな人たちに支えられて生きている弱い存在であり、周囲の人たちを大切にしなければならない」ということも、「人間は最終的には自分ひとりで自分のことを決めなければならない。周りにばかり気兼ねをしていたら、本当に自分がやりたいことはできない」ということも、どちらも人生の真実なのである。・・・と、著者はまとめている。

本著のなかでは、どのようにして依存性性格者が生まれるのかについても詳しい実例を元に説明されているので、興味のある人にはぜひこの部分も読んでもらいたい。

対人関係を最初から回避する「ネオ依存者」

しかし、ここにきて日本人はこれまでの伝統的な依存性概念から大きく逸脱した「ネオ依存者」とでもいうべき新しい現象が起きているらしい。亀裂が生じかねない場面を最初から回避し、「相手も自分に合わせない、こちらも相手に合わせない」という「葛藤回避」が最近の今風家族によく見られるようになった。

ここでいう今風家族とは、食事は個々人が好き勝手なものをとり、テレビも一人一台でそれぞれ自室に閉じこもって見る、というように徹底的に衝突が生じない家庭のこと。対立する他者との間で折り合いをつけるというトレーニングがされることなく、コミュニケーション能力が育たない。

この現象が進んでしまうと、「依存したいのに依存関係を結ぶだけのテクニックを持っていない、無能なタイプ」へとネオ依存性がスライドしていくのではないか、と著者は警鐘を鳴らしている。これにより、かつては日本社会に適応的であった依存的傾向が引きこもりなど大量の失調者を生み出す危険があると語っている。

おわりに

著者が「おわりに」で述べていることが、非常に印象的だったので、ここで紹介したい。

自ら決断し、その責任を自ら負うことのできる個人が日本に存在しないわけではないのですが、本書のなかで述べた通り、幼児期の物心ついた頃から学校教育のなかで「優しさ」、「協調性」、「友だち」などの、主に依存的傾向に属する価値観だけが洪水のように擦りこまれ、誰も明確な決断を下さないままに、ぬるま湯的な群れの中で周囲と調子を合わせてゆくことに重点が置かれた人間がスタンダードとされ、自分で決めないと気がすまない人々は少数派へと追いやられ、往々にしてひきこもりなどの自立の失敗形態に終わっているように見えます。

“依存的傾向に属する価値観だけが洪水のように擦りこまれ…”とあるが、この部分がまさしく、日本人は海外の人に幼稚だと言われてしまう要因であるように思う。

しかし、本著で述べられているように、やはり大切なのは、依存と自立の「バランス」。他者にも合わせることもでき、ここぞという時には「自分の意見を正しく主張する強さやスキル」を日本の家庭でも、学校教育でも子どもたちに教えていくべきではないだろうか。

写真:stefanos papachristou

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2 コメント

  1. 多少の金があったら、1周間だけでもいいから海外へ一人旅へ行き、自分がいかに温室のような国で生まれ育ったかを痛感しておくべきだった

    あ~~、この記事を読みながら自分の人生に後悔してます。

  2. 甘えたくても甘えられない人だらけになると困るので、適度に自立した人間も必要でしょう。甘え上手な人は沢山いるのですが、それを受け止められるだけのどてっぱらの座った人物が少ないのがさびしい限りです。老人も甘えたくて仕方が無い人だらけですから若者は大変です。