カラオケパーティー

古くから日本の代表的な娯楽として、市民に親しまれてきたカラオケ。世界中のどこを探しても日本ほどカラオケが普及している国はない。日本はまさに「カラオケ先進国」である。

外国人からするとカラオケはまだまだ目新しいものであり、そんな外国人たちを日本のカラオケボックスに連れて行くと彼らの新鮮な着眼点、日本人とは違った楽しみ方が見れて面白い。


外国人をカラオケボックスに連れて行くと、彼らはまず「個室」であることに驚く。日本のような個室のカラオケは海外では珍しいので、当然といえば当然の反応だが、「完璧なプライベートスペースだね!」と言って喜ぶ姿を見るのは何とも新鮮である。

その後も、液晶画面で選曲しリモコン操作も可能な「デンモク」に、「日本のテクノロジーはやっぱりすごいね!」と言っては感激し、リモコンで食べ物や飲み物を注文できることに感心し、マイクやカラオケの音質に感動する。

これらの反応は外国人ならではのものであり、小さな頃からカラオケに慣れ親しんでいる日本人とは違う、新鮮な反応だ。

また、初めてカラオケボックスに行く外国人のなかには必ずこう言う人がいる。

「僕、ウタ下手くそだからね・・・。」

「本当にしゃがれ声だから、もう最悪だよ」

そこまで“下手くそアピール”をしなくても…と内心思うが、彼らの歌声を聴いてみて納得する。

お世辞にもウマイとは言えない。自分の声が出せる声域がよくわかっていなかったり、サビ以外の歌詞を全く把握していなかったり、声の強弱や息継ぎをうまく調節できていなかったり。それに比べてカラオケで歌を歌いなれている日本人は、十八番の1曲があったり、「あーこれは高すぎるから歌えない」と却下したり、カラオケが目新しい外国人に比べて自分の声やそれにあった曲をよくわかっていているのだ。


 

一番おもしろいのは、外国人たちのカラオケの楽しみ方である。

日本人だけでカラオケに行くと、何となく歌う順番が決まっていてマイクを持つ人は決まって1人か2人。誰かが歌っているときは、みんなそれとなくその歌を聞き、なかには手拍子する人まで現れる…というのが日本人流のカラオケの楽しみ方。

しかし、外国人たちのカラオケにはそういった細かいルールがない。マイクに大勢が群がり、「歌う」のではなく、「叫ぶ」。誰が入れた曲なのか、当人たち自身もよくわかっていない。とにかく自分が知っている歌なら前に出て、マイクに群がる“大勢”に加わる。だから外国人流カラオケでは、座って歌う人など1人もいない。

さらに、1番の大きな違いは、決まってダンスが始まる点だ。外国人とカラオケに行くと、手拍子する人はいないが踊る人はいる。画面の周りに散らばり、それぞれがリズムに合わせて踊りだす。この光景は、もはやカラオケというよりも、「クラブ」に近い。「楽しい」というそれぞれの感情をそのままストレートに表現しているようにも思われる。当初は“下手くそアピール”を必死でしていた外国人も、ここまで来るともうそんなことは気にせずにはしゃぎだす。

彼らを見ていると、日本人同士のカラオケというのは、それぞれがどこか自分の歌のうまさを誇示しているように感じられる。先に述べた十八番を歌ったり、キーが届かないから選曲しないというのは、ある意味「自己顕示欲」の裏返しとも捉えられる。

その点、カラオケ慣れしていない外国人たちは上手い下手関係なく、純粋にカラオケを楽しんでいるように思われる。そして、そんな彼らとのカラオケは実に楽しい。

まだまだ海外では珍しい日本のカラオケボックスだが、日本を訪れた外国人たちの反応は上々である。

そんな彼らにあった「新しいカラオケのあり方」が、今後生まれていくのかもしれない。

 

次回、「2極化するフランス人のカラオケ」 に続く・・・


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