世界の恋愛結婚文化

学生の頃、メキシコ生まれアメリカ育ちのヨランダと、こんな会話で盛り上がった。

ヨランダ 「リリー、今日は何するの?」
私 「あぁ、あたし、これから合コンなんだ」
ヨランダ 「Goukon??」


アメリカにも(おそらくメキシコにも)“合コン”たるものは存在せず、ヨランダに日本の合コンとは何なのかを大まかに説明してあげた。すると私の説明が悪かったせいか、彼女笑ってこう言った。

「アンタ、すごい必死なのね!(笑)」

出会いを求める男女が集まるパーティー(飲み会)と聞いて、彼女は“speed dating(スピードデーティング)”を思い浮かべたらしい。スピードデーティングとはアメリカや英国で盛んに行われている、いわゆるカップリングパーティー(お見合いパーティー)のこと。男女が一対一でそれぞれ数分間の中で自己紹介をしていく。それを複数と行い、気に入った相手を見つける、海外では主流のオフイベントらしい。

日本に比べ“主流”とはいえ、スピードデーティングと合コンの間には、何だかものすごい差があるように感じた私は、さらに必死?に合コンの説明を加えた。

speed datingとは?「合コンはスピードデーティングとは違って主催者は自分たちだし、決められた時間内に自己紹介しあうような形式ばったものじゃないんだよ。行ってみないとわからないけど、彼氏&彼女がいる人が来ている場合もたまにあるし、興味なくても人数あわせで来ている人もいるしね。」

すると彼女はこう言った。

「じゃ、普通のパーティーと同じじゃない!」

確かに彼女の言うとおり、合コンは普通の飲み会と大して変わらないように思う。男女の人数を合わせる点を除けば、単なる飲み会だ。それもそのはず、「コンパ」は飲み会から生まれたのである。コンパの始まりは明治期。学生・書生の風俗が確立し、同じ寮やクラスなどに属する者が互いに親睦を深めるために酒席(飲み会)をともにする習慣が生まれた。元々コンパは男どうし、女どうし、あるいは学生どうしに限られることが多かったらしい。女子の大学進学率が急激に上昇し始める1970、1980年代ごろから盛んになり、その後学生どうしにかぎらず広汎に行われるようになって、現在の「合コン」というものが生まれたという。

出会いのカタチ


ヨランダはこうも言った。

「アメリカでの男女の出会いは“必然”ではなく、“偶然”。友達と行ったバーやクラブで知り合ったり、ホームパーティーやバースデーパーティーで出会ったり。友達や家族の集まりの場で出会うことも多い。〇月〇日に男女〇人で!って前もってしっかり決められたパーティーというのはヘン!というか、必死さが伝わって何か嫌だ。」

フランスでは“合コン”は絶対に流行らないだろうと推測する、フランス人男性ジャン・ポールはこう語る。

「女のコに男女のシングルパーティーを開こうとか、女友達を紹介してとかは言えないなぁ。俺はモテなくて、誰もひっかからないって言ってるようなもんだから。かわいそうな奴に思われるのも嫌だし、目の前の女のコにも失礼でしょ。そもそもフランスには“飲み会”っていう文化もないから難しいだろうね…。」

彼らの話によると、“偶然”出会うことができない人が集まる場がスピードデーティング。出会いが“必然”な場へ行くのは最終手段だという。だから、欧米では出会いを求めて集まる場と、そうではない場というのがはっきり分かれるようだ。

合コンには真剣に出会いを求める人もいれば、単に色んな人とステキな時間を過ごしたいと思う人もいるし、友達さがしが目的の人だっている。合コンが“出会いを求める”という部分を曖昧にしているからこそ、広く日本人に受け入れられたように思う。共通の知り合いを通しているから、相手の異性は全く知らない人ではないし、少し安心感がある。飲み会と合コンの違いが鮮明ではないから、本当は必死に恋人を探していたとしても、そういう印象を与えることもなく自然な形で恋愛をスタートできる。

イギリスでは1650年ごろ、フランスでは1700年ごろ、日本では1900年ごろに「恋愛結婚文化」が生まれたという。日本の場合、お見合い結婚が恋愛結婚の数を上回ったのが1965年頃と言われているから、自分の好きな相手と自由に結婚ができるようになってからわずか45年しか経っていないことになる。

アメリカにも、イギリスにも、フランスにもない日本の「合コン」だが、それまでお見合い結婚が主流だった日本だったからこそ、カジュアルな出会いの場としての合コンが生まれたような気がしてならない。

“必死さ”の伝わらない、ただの飲み会のような出会いの場、「合コン」は恋愛結婚の歴史が浅い日本人の好む曖昧さの産物なのかもしれない。

※ちなみに、「合コンに行ってみたい!」としつこかった外国人男性を数人集めて合コンを開いたことがある。「幹事役は疲れる!」がその時の感想。これはしょうがないことだが、男女の間に言葉の壁があり、日本人同士のようにスムーズに会話が進まなかった。「あのこは楽しんでるんだろうか?」、「もう帰りたいとか言い出さないでよ~!」と周りに気を遣い、かなり落ち着かなかったのを覚えている。


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