対人恐怖症とは?

 対人恐怖症― 他者との接触を避け、生活に必要な人間関係の構築ができなくなる強迫神経症で、社会不安障害の一種。引きこもりを伴うことが多い。

 

みなさん、この対人恐怖症は日本特有のもので、海外ではあまりみられない症状であることをご存知ですか?確かに、これまでいろんな国籍の方と出会いましたが、他人から非難されることを恐れる対人恐怖を抱えた外国人には一度も出会ったことがありません。無口な人や気難しい人、話があまり上手ではない人などはどこの国にもいるものですが、対人恐怖症・対人緊張症という話は聞いたことすらありません。仮に対人恐怖症の欧米人がいたとしても、それはごく稀なケースです。


 

この日本特有の対人恐怖症は、まさしく日本社会の厳しさを象徴しているようにも思えます。“KY”という新語が現れたことからもわかるように、日本は欧米社会に比べ、場の「空気を読む」ことが大切にされがちです。農耕民族と言われる日本特有の風土で、仕事やバイト、学校、近所といった集団から孤立してしまうことは社会的な死を意味するわけです。

 

ここが欧米社会との一番の違いであり、対人恐怖が多く見られる原因があるのではないかと考える精神科医もいます。日本人は、常識的で社会に順応しようとする人なら誰でも「他人からの目」を気にしてしまうものです。大雑把に言ってみれば、他人の目が“過剰に”気になる症状が対人恐怖症なわけですから、日本人はみな多かれ少なかれ対人恐怖を抱えているといえるのではないでしょうか。これに対して欧米社会では自分の個性を出し、堂々と自己主張することが望まれる風潮があるためか、対人恐怖症という病気は、かつて認識されていませんでした。


 

また、日本では“異”を排除し、さらに自分自身が集団の“異”となることを恐れると言われてますが、欧米ではむしろ“異”でありたいと望む人の方が多いように思います。みんなと同じ、たくさんの人に埋もれてしまうような個性よりも、より特別な存在でありたいと望む方が彼らにとっては自然なことのようです。日本にいる外国人で、「私は外国人です」と自己紹介する人はまさに、外国人という特別な存在でありたいと思っているタイプなのかもしれません。

 

去年のザテレビジョンドラマアカデミー最優秀作品賞をとった「フリーター、家を買う」では近所でいじめられたことが原因で主人公の母親(浅野温子)はうつ病になりました。その娘役の井川遙が言ったセリフがとても印象的でした。

「この国の人はね、横並びが大好きなの。みんな一緒が大好き。人と違えばはじき出されんの!」

 

ドラマのセリフとは言えども、なかなか確信をついた言葉であるような気がします。震災後の日本の“自粛ムード”はみんな一緒好きの日本人らしい現象でした。日本社会が抱える問題も、日本のいいところも悪いところも、対人恐怖症も引きこもりも…。全ては他人の目が気にせずには生きられない、日本社会の厳しさからくるものであるような気がしてならない。


11 コメント

  1. wikipediaなんて、はだれでもかけるもの且つ常に変化してるものですからね
    というか、英語だとAnthropophobiaじゃないの?
    発達障害なんて海外でも普通にあるというか、欧米のほうが多いくらいだしね
    分類の仕方の常識が違うだけのはなし(大きくAと括るか細かくXと括るか)

    ~は日本だけ~って話題は大抵この程度なんだよね^^;

  2. リリーさん、今日初めて貴方のサイトを発見し、いろいろ読ませていただいています!

    おっしゃるとおり、欧米の社会は「異」であることに誇りを感じるようにできてると思う。けど、日本人だって人と違くなりたいって気持ちが少なくとも十代は原宿とかのファッションに表れてると思うのですが、どこからその気持ちを隠すようになるんでしょうね。(少なくとも、十代の頃のおしゃれってそんなもんだった記憶です。それともこれも近年で変わっちゃったかはわからない。)「社会人」になるときに変わるんでしょうか?それとも勉強するために部活やら「得意だったこと」を引退しなくちゃいけない「受験」かな。周りの環境が変わるたびに変わっていくのでしょうか。親や先生からの期待に押しつぶされそうなドラマのキャラクターってよくいると思います。欧米の世の中では「KY」や「天然」、子供みたいな大人はごろごろと自信満々で暮らしていますよね。空気は読めないどころか、読まないことを逆手に使える人がビジネスで成功してる例が多い気がします。

    大人になるにつれて変わらなきゃいけない社会であることが変わりかたがわからない子に「対人恐怖症」という形で表れてしまうのではないかなーとふと思いました。

  3. はじめまして。フランスからの記事大変興味深く拝見しました。私も以前数年間ドイツに住んでおりましたので同感できる点多々ありました。

    やはり、対人恐怖症は日本独特な精神病なのですね・・。納得します・・。
    日本文化は良い点もたくさんありますが「出る杭は打たれる」文化だなと感じることがよくあります。ヨーロッパと違い移民が少ないですし、小学校から集団での生活や礼儀を教え込まれます。また、基本的に受け身の授業ばかりで目標は受験なので「自分の意見を持ち、はっきりと意思表示し議論する」ということに不慣れなのかと思います。そのため、相手に反論して面倒になるよりは自分の意見を押し殺して難なく済ませようと考えてしまいがちで、それがいつかストレスになってしまうのではないでしょうか。ドイツでは協調性より個性が大事なので、自分の意見を持ち議論することを教えられて育つと聞いています。どちらも良い点もあり悪い点もありますが・・。

    日本のファッションは一見個性があふれているように見えますが、やはりマスコミによる「流行」に流されているようです。流行に敏感であることも流行という「集団」に乗り遅れないようにしているようにも見えます。このことはファッション関係の仕事をしている知人(個性が強い日本人)も嘆いていましたよ・・。

  4. こんにちは。僕は大学では医学を学びましたが、精神学を専攻したわけではないのでシロウト同然なのですが、日本人は調和を重視する社会ゆえに、みな多かれ少なかれ対人恐怖症の予備軍であるという見解は納得の行くものです。

    ただ、対人恐怖症が重度となるくらい進行してしまう理由として「逃げ込める空間が確保されている」ということも関係あるのではないでしょうか。対人恐怖症は概ね男性のほうが顕著だといわれています。それは男性は社会に出て行くべきであるという周囲のプレッシャーや、一人で没頭できるエンターテイメント(パソコン、ゲーム、漫画、プラモなど)なのど豊富さが症状を助長させているのではないかと。ファッションやスイーツ、旅行、おしゃべりを好む女性と大きく違うところでしょう。

    車の縦列駐車ができなくて困っている男性ドライバーを助けてくれる人なんていません。周囲の人たちは「おいおい・・」っていう目でみるでしょう。すなわち、それだけ外の世界は危険が一杯なわけです。徴兵制もない日本。依然として和を重んじる社会なのに、むりに西洋型の個性を押し付けられた世代が消化不良を起こしているのでしょう。だから「自分の個性を大切にできる安全な空間」に逃げ込んでいるわけです。もっといえば、逃げ込むことのできる立場にあるということです。

    欧米ではむしろ異でありたいと思う人のほうが多い、ということですが、誤解のないよう正確に表現すると「厳重なルールに則った上での異」を好むわけです。どういうことかというと、欧米の唯一のアイデンティティーは「宗教」と「言語」です。特に今日フランスやオランダ、ドイツ、フィンランドでも異教徒であるイスラム教徒との問題が絶えません。顔をすっぽり隠してしまう「異教徒ファッション」も欧米社会では通用しません。つまり(彼らの)ルールを無視した異はお断りどころか、激しい排斥の対象にすらなるのです。

    欧米の厳しい暗黙のルール。それはいろいろなところで見受けられます。たとえば名前。クロアチアの話で恐縮ですけど、名前のバラエティーが少ない!みんなマルコとかイヴァン、マリオばっかり。女の子もアナとかマリアとかばっかり。これは「みんな同じ名前だよね、同じ宗教だよね、仲間だよね?」という周囲との確認のためです。これがヨハナっていう名前だったりすると「あいつはセルビア人か!」と問題になってしまうくらいです。セルビアはこの前まで戦争してた仲の悪いご近所様だし、正教ですからね。同じ十字架でも「異教徒」なわけです。

    こういうルールが定着している根本的な理由として「恐怖」が挙げられます。それも歴史に基づいた。欧州は30年ごとに国の地図が変わってしまうような微妙な地域です。(いやもっとかな?)国境争いも水面下では当然のように行われているしEUも崩壊寸前だし実は穏やかな話ばかりではありません。

    宗教の違いで家族といえども殺し合うという感覚、折角外国にいるのなら単純に耳をふさぐのではなく邦人という客観的な立場を利して現地人以上に理解してみたいものです。こちらが軽率な言動を取らなければタブーな会話なんてめったにありません。相手の顔色を伺いながらでいいですから過去の戦争やアイデンティティーの確保、崩壊などについて現時の人と話してみることは大事なことです。そういう一線を越えることによって「大人しいジャポンから来たヤマダ君」が「あいつやるなぁ、山田かぁ・・・」に変わるわけです。

    日本の場合プロパガンダが脆弱で中途半端なような気がします。「みんな一緒が大好きな日本社会」といっても、「みんな一緒な名前、宗教が大好きな欧米社会」とはならないでしょう。それは欧米がしっかりとしたプロパガンダ教育をしているからです。

  5. 日本は確かに「異」を嫌うように見えます。
    しかし、欧米も「異」を嫌っているのも確かです。
    日本人は「異」に対して「無視」とか、「村八分」、といった対応をしますが、
    欧米人は「異」に対してもっと攻撃的です。

    欧米人が個性ある存在になりたがっていることは事実ですが、それは、「なりたがっている。」だけで、実際は、個性はありません。
    髪の色や、瞳の色がそれぞれ違うし、自分の欲することの主張だけはするので、一見、個性があるかのように見えますが、マスコミのお陰か、宗教のお陰か、みんな同じ方向を向いているし、同じ考え方で、同じ行動様式で、みんな同じように見えます。
    ミスユニバースのミス達も質問に対して、たった一人が全部の問いに答えているかのようにさえ見え、没個性です。
    逆に、個性がないから個性を持ちたがっているのではないか、とさえ感じます。

    本当に欧米人が「異」を受け入れられるかどうかは、欧米がイスラム系住民をどう受け入れられるか、で判断できる、と思います。
    欧米はキリスト教化して以来、異教徒を迫害するどころではなく、100%完全抹殺してきた歴史があります。
    欧米が、中東の石油も政府も完全に支配下に置く限り、イスラム系住民の欧米への移住はこれからも続きます。
    「身から出たサビ」ですが、欧米が彼らのような「異」とどのように交流していくのか、はある意味「見もの」です。
    欧米の「排他性」が白日のもとにさらされるかもしれません。

  6. 対人恐怖症・・・・。海外生活においてこれほど鬱陶しいものは無い。
    もっと自分に自信もって!!とか言われるけど、そんな簡単な問題じゃねぇよ!!子供の頃から染み付いてんだよ、この思考回路が!!ってキーッ!!ってなります。笑

  7. 井川遥じゃないけど、服装ですら横並び好きすぎですよね。六本木を右往左往してる女や西野カナとかも全く好きになれないし、イタリアの友人もそれに関しては意味わからないと行ってました。
    俺の場合、みんなが好きになるものにほど嫌いになる傾向があり天の邪鬼なだけかもしれないけど、日本社会はもう疲れた
    ワーホリで自分を極めて行きます

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