今こそ日本は「ゆとり社会」に移行すべきだ!

空前の婚活ブームだと言われている昨今だが、ヒートアップする男女の結婚熱とは裏腹に、日本は結婚後の“家庭”にスポットを当てた国ではないように思う。そう感じる理由はいくつかあるが、今日はフランスと日本の『時間感覚の違い』に焦点を当て、なぜ日本がファミリー向け社会ではないかを考えてみよう。

フランスと日本では時間の感覚が明らかに違う。


フランスから日本に久しぶりに帰って感じるのは、「日本は忙しくないといけない」という妙なストレスだ。「ヒマしてます」とは言えない。みんなと同じようにせわしく動き回らなくてはいけないような気がする。周りのみんながスケジュール帳片手に予定通りに動くなかで、自分だけがのんびりしてしまうと何だか社会から取り残されているような感覚に陥る。

これは私の知り合いのフランス在住日本人も言っていたが、フランスにいると睡眠時間もたっぷりとるし、日本にいた頃のような急かされているような感覚がないという。同じ24時間でも時間に追われてあっという間に過ぎる時間とは少し違う。単に、しなくちゃいけないことの量の違いもあるのかもしれないが、海外で時間に追われずのんびりした気分になった経験のある人には何となくわかるのではないだろうか。

そういえば、日本からフランスで生活し始めた当初は『フランス時間』に随分戸惑ったものだ。それまで日本で毎日忙しく動き回っていた私にしては、どのお店が8時に閉まり、コンビニもなく、日曜日には営業しない店の多さに驚き、まるで小学生の生活のようだと思った。

朝起きて、夕方家に帰り、夕飯を食べた後は出かけない。日曜日や祝日は外に出かけるのではなく、家で家族とゆっくりする時間…。

それがここでいう、『フランス時間』だ。フランスに来た当初はこの『フランス時間』にどうも合わせることができず、悶々としたものだ。カラオケやゲーセン、24時間開いてるファミレス、小腹が空いたときにちょっと立ち寄るコンビニがないフランスはつまらないと、正直当初は思った。


しかしそんな『フランス時間』にも慣れてきた今日この頃は、ここでの人間らしい時間の流れが大好きだ。日本からすると、“不便”にも思えるこの社会のしくみがまさにファミリー向けだと私は思う。日本にはないフランスの不便さが、家族と過ごす時間を作りだす。日本人は働き過ぎだとよく言われるが、働き過ぎなのは仕事の面だけでなく、それ以外の面でも日本人はよく動くのではないかと思う。つまりフットワークが軽いのだ。このフットワークの軽さは、日本の便利な社会が創り出すのだが、ここで考えてほしいのがその便利さが「本当に必要か?」ということ。

コンビニ、ファストフードなど様々な業種が24時間365日営業。
本当にこんなに営業する必要があるだろうか?
長距離トラックは深夜走る必要があるだろうか?
3交代制で24時間工場稼動させる必要があるか?

24時間365日営業はやめて全ての会社を9時~17時にするべきでだと私は思う。そうすれば、家族円満。夫婦の時間ができ少子化対策にも繋がるし、睡眠を長時間とればストレス解消にもなる。自分の会社やお店だけが「ゆとり営業」できないというのなら、国で営業時間に関する規制をかければいい。

これまでの日本人は走り続けてきた。

そのおかげで日本経済も成長し、世界に誇る日本のモノづくり技術や文化の発展にも繋がったのだと思う。

しかし、婚活に沸くこれからの日本はもっと“ファミリー向け社会”に移行していくべきではないだろうか。時間のある、より人間的な生活を送るなかで大切な人と出会い、家族の絆を深める。そんなゆとりのある暮らしが、本来人間には必要である。ゆとり営業が少子化問題や過労死など日本のさまざまな社会問題を解決するのではないだろうか。

日本が本当の意味で走り続けるには、そんな人間らしい「ゆとり」が必要である。


1コメント

  1. 日本とフランスでは世界における立場がまったく違います。
    かたやヨーロッパの白人。
    食料自給率が100%でも、アメリカなどから脅される心配もなく、
    ヨーロッパ産の木製の鉛筆がアフリカ産の金製の鉛筆と交換できるほどの不公平な為替レートに守られている国は、他国と比較できません。
    それこそ、「パンがなければケーキを食べればいいわ。」と言っているのと同じです。
    日本人は、これだけ働いていて、これだけ世界的な会社があり、世界規模で売れている、にもかかわらず、
    チューリップ以外さしたる輸出品もないようなオランダレベルの暮らしすらできません。
    不思議に思ったことはありませんか?
    どうしてヨーロッパ人は、石油が中東ほどあるわけでもなく、途上国も含めた世界規模で有名な企業があるわけでもなく、日本人みたいにあくせく働いているわけでもないのに、まるで帝国主義時代に植民地から収奪していた時代と変わらないような特権階級のような暮らしが今でもできるのか?など。
    答えは簡単です。
    いまでも収奪しているからです。
    日本人を含めた有色人種は、決して白人のように、豊かでゆったりとした生活ができないように、人為的に操作されているからです。

    日本人は確かに家族を犠牲にして、ここまできました。
    アフリカやアジアを犠牲にできる白人ではない以上、自分たちのうち、誰かを犠牲にしなければここまでこれなかったのも事実です。
    資源もなく、白人でもない日本人が今の地位を守るためには、走り続ける以外方法はありません。

    むしろ、これだけ恵まれたフランス社会に、どうして、少子化問題があるのか、不思議です。
    少子化率があがった、とか言っても、それは北アフリカ系移民の子だくさんのおかげであって、フランス人自身がそうしたわけではないじゃないですか。
    それにフランスがファミリー向け社会とか言っても、みんな結婚せずに、くっついたり別れたりみたいな夫婦ごっこをくりかえしていて、「家庭」というものは失われているようにもみえます。

    白人の優雅でゆったりした暮らしをはたで見ながらも、走り続けるのを止めない日本人は、ある意味、自分たちの立場をわきまえている、ということです。

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