【英語の言葉】世界の偉人、有名著名人35人の最期の言葉

出てけ、失せろ。最期の言葉なんてものは、生きてるうちに言いたいことを全部言わなかったバカ者どもが口にするものだ。』

と、マルクスは亡くなる直前にそう残しましたが、最期の言葉は「人生最期の意思表示」であり、遺族の心の中にいつまでも残る言葉でもあります。そこで今回は、世界の35人の有名・著名人たちが最期に残した言葉を紹介します。なかには、グッとくるものから意味不明なものまで…。あなたはどの言葉が好きですか。


1“I’m going to the bathroom to read.” – エルヴィス・プレスリー

「トイレに行って、本を読んでくるよ。」

ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、病院へ運ばれた。死因は処方薬の極端な誤用による不整脈。42歳没であった。

2“I’m losing it.” – フランク・シナトラ

「(病気に)負けそうだ…」

1998年5月14日にビバリー・ヒルズの自宅で心臓発作を起こし、そのまま回復することなく亡くなった。

3“I have offended God and mankind because my work did not reach the quality it should have.” – レオナルド・ダ・ビンチ

「私は神と人類を怒らせてしまった。私の作品はあるべき質に届かなかったのだから。」

レオナルドは1519年5月2日にクルーの館で死去した。フランソワ1世の腕の中で息を引き取った。

4“Oh wow. Oh wow. Oh wow.” – スティーブ・ジョブズ

011年10月5日、膵臓腫瘍の転移による呼吸停止により妻や親族に看取られながらパロアルトの自宅で死去した。 56歳没。

5At fifty, everyone has the face he deserves.” – ジョージ・オーウェル

「50歳になると、誰でもその人の人格にふさわしい顔になる」と死ぬ前に語った、『1984年』の作者で知られる作家ジョージ・オーウェル。46歳没。

6“I’ll sleep well tonight.” – ヘンリー・フォード

「今夜はぐっすり寝れそうだ」

自動車会社フォード・モーターの創設者の最期の言葉。1947年、83歳でディアボーンにて脳内出血で死去。グリーンフィールド・ビレッジで行われた通夜には1時間に5,000人の弔問客が訪れた。

7“I should never have switched from Scotch to martinis.” – ハンフリー・ボガート

 

「スコッチからマティーニに乗りかえるべきじゃなかった」

ハリウッド映画俳優。晩年に食道癌を宣告され、妻と共に闘病するものの1957年1月14日に、永眠する。

8“Leave me alone. I’m fine.” – バリー・ホワイト

「一人にしてくれ。大丈夫だから」

アメリカの男性シンガーソングライターで音楽プロデューサー。「ラブ・アンリミテッド・オーケストラ」を編成した。

9“One never knows the ending. One has to die to know exactly what happens after death, although Catholics have their hopes.” – アルフレッド・ヒッチコック

「結末を知る人はいない。死んだ後に何が起こるのかを知るために死ななくちゃいけない人もいる。カトリックは死後に望みがあるらしいが。」

サスペンス映画の神様と呼ばれるイギリスの映画監督、映画プロデューサー。

10“It’s very beautiful over there.” – トーマス・エジソン

「あそこはとても美しい」

彼は84歳で死んだが、80歳を過ぎてもなお「私にはまだやらなければならない仕事がある。少なくともあと15年は働かなければならない」と言いながら1日16時間のペースで仕事を続けていた。

11“I’ll finally get to see Marilyn.” – ジョー・ディマジオ

「これでやっと、マリリン・モンローに会える」

MLBのプロ野球選手。56試合連続安打のMLB記録保持者。ディマジオは1999年3月8日に肺がんで死去。84歳没。亡くなる数日前に友人に語った最期の言葉。

12“Don’t be in such a hurry.” – ビリー・ホリデイ

「そんなに急がないで」

アメリカのジャズ歌手。肝硬変と腎不全、腎臓感染、肺鬱血の病に冒され、1959年7月17日朝3時10分歿。 44年の生涯であった。

13“Tomorrow, at sunrise, I shall no longer be here.” – ノストラダムス

「明日の日の出の頃、私はもうここにはいないだろう。」

14“My Florida water.” – ルシル・ボール

「私のフロリダのお水を(ちょうだい)。」何か必要なものはないかと聞かれて、こう答えた。

アメリカのコメディアン、モデル、女優。1989年4月26日、77歳で大動脈解離により亡くなった。

15“A party! Let’s have a party.” – マーガレット・サンガー

「パーティーよ!パーティーをしましょう!」

アメリカ合衆国の産児制限(受胎調節)活動家。産児制限が広く行われるようになる道を切り開いた功労者である。

16“More milk.” – マイケル・ジャクソン

「もっとミルクを」

麻酔や鎮静鎮静に用いられる劇薬、プロポフォールの別名がミルクであり、マイケルはプロポフォールの過剰投与による副作用が原因で急性中毒による呼吸不全および心不全を起こし、死に至った。


17“I’m bored with it all.” – ウィンストン・チャーチル

「何もかもつまらない」

晩年のチャーチルはひどく老衰し、言葉の意味もよく分からなくなっていた。また頻繁に涙を流すようになったという。1965年1月8日に脳卒中で左半身がマヒし、1月24日午前8時頃、家族に見守られながら永眠した。

18“I want nothing but death.” – ジェーン・オースティン

「私がほしいのは、死だけよ」

イギリスの小説家。1816年になると体調を崩しがちになり、現在ではアジソン病に感染していたと考えられている。病状は一進一退を繰り返し、翌1817年には療養のためハンプシャー州ウィンチェスターへと移ったが、その2ヶ月後の7月18日に死去した。

19“Pardonnez-moi, monsieur.” – マリー・アントワネット

「すみません」

ギロチン台に向かう途中、死刑執行者の足を踏んでしまったマリーが口にした言葉。

20“Money can’t buy life.” – ボブ・マーリー

「お金じゃ人生は買えないんだね」

サッカーをプレーしていた際に足の親指を負傷、それが原因となり悪性のメラノーマを発症した、との都市伝説があるが実際には以前から発症していた癌が足の親指に出現し発覚したものである。医師からは親指を切断することを勧められたが、マーリーは宗教的な理由でこれを拒否し、部分切除を行った。しかし、やがて腫瘍は全身に転移し、手を付けられない状態まで悪化した。

1981年5月11日、療養先のドイツからジャマイカに向けて帰国の途のつく途中で容態が悪化、アメリカ・フロリダ州の病院で妻と母に見届けられ、死去。最終的な死因は脳腫瘍と癌の肺への転移によるものとされている。36歳没。

21“Where is my clock?” -サルバドール・ダリ

「俺の時計はどこだ?」

1989年にフィゲラスのダリ劇場美術館に隣接するガラテアの塔で、心不全により死去。85歳没。

22“Surprise me.” – ボブ・ホープ

「何かびっくりさせてくれ。」

イギリス生まれのアメリカ合衆国の俳優、コメディアン。100歳の誕生日を祝った2か月後の2003年7月27日、午後9時28分に、肺炎のため自宅で死去した。

23“Swing low, sweet chariot.” – ハリエット・タブマン

「静かに揺れる 愛しのチャリオット」

奴隷解放運動家、女性解放運動家。アメリカ北部やカナダへ黒人奴隷が逃亡するのを援助する秘密結社)の女性指導者のひとり。1913年に肺炎で死去。93歳であった。臨終の際には、仲間や助けられた人々、支援者が集まり「スイング・ロウ・スウィート・チャリオット」を歌ったとされる。

24“A dying man can do nothing easy.” – ベンジャミン・フランクリン

「死にゆく者にとって簡単にできるものは何もない。」

1790年4月17日 84歳で死去。葬儀は国葬であった。

25“I’m going away tonight.” – ジェームス・ブラウン

「僕は今夜いなくなる」

心臓発作で突然亡くなったジェームス・ブラウンは、亡くなる数分前にそうつぶやいた。

26“I must go in, for the fog is rising.” – エミリー・ディキンソン

「行かなきゃ。霧が出てきたわ。」

アメリカの詩人。生前は無名であったが、1700篇以上残した作品は世界中で高い評価を受けている。死因はブライト病(腎臓疾患の一種)であると考えられている。

27“Of course I know who you are. You’re my girl. I love you.” – ジョン・ウェイン

「もちろん君が誰かわかってるさ。君は僕の女だ。愛しているよ。」

アメリカの俳優、映画プロデューサー、映画監督であった彼が亡くなる直前に奥さんに向けて残した言葉。

28“I hope the exit is joyful and hope never to return.” -フリーダ・カーロ

「出口は楽しくて、もう二度と戻れなければいいなぁ」

メキシコの画家。フリーダは肺炎を併発して死去した。

29“Damn it! Don’t you dare ask God to help me!” – ジョーン・クロフォード

「チクショー!神様に私を助けるように言って下さる?」

心臓麻痺により、マンハッタンの自宅で死去した彼女は、お手伝いの女性に最期にこう叫んだ。

30“One last drink, please.” – ジャック・ダニエル

「最後の一杯をくれ。」

アメリカ合衆国のウイスキー蒸留所経営者、ジャック・ダニエルは敗血症のため、1911年にテネシー州リンチバーグで死んだ。

31“Be inspired.” – へヴィー・ディー

「インスパイアされろ!」

1980年後半に流行ったニュー・ジャック・スウィングの代表者として知られるジャマイカ生まれのラッパー、俳優。死因は“エコノミー症候群”の名でも知られる「肺塞栓症」であった。

32“Applaud, my friends, the comedy is finished.” - べー卜ーヴェンn

「友よ、拍手を。喜劇は終った。」

アルコール嗜好による肝硬変が原因。57歳でこの世を去った。

33“Pam, are you still there?” – ジム・モリソン

「パム、そこにいるのかい?」

1971年7月3日、モリソンはパリのアパートにあるバスタブの中で死体として発見された。第一発見者は当時交際していたパメラ・カーソン。パメラの証言から薬物の過剰摂取が死の原因ではないかとも考えられている。

34“The wallpaper and I are fighting a duel to the death. One or the other of us has to go.” – オスカー・ワイルド

「壁紙と私は死の果し合いをしているんだ。わたしたちのどちらかは行かなくてはいけない。」

パリ6区のホテル『L’Hôtel』に泊り、梅毒による脳髄膜炎で亡くなった。46歳没。多彩な文筆活動をしたが、男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した。

35“Drink to me.” – パブロ・ピカソ

「私のために、飲んでくれ」

自宅で肺水腫により死去。

 

以上、世界の有名人の最期の言葉でした。あなたはどの言葉が心に残りましたか。


2 コメント

  1. フランス語版も期待しています。
    ナポレオンは「私の辞書に、不老不死という言葉もなかった」とか言ってたら最高なのに。

  2. スーパーマンを

    相手にしても、

    仕方がない。

    現実を生きて、

    人様にすこしでも好かれる人間に。

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here