多言語話者が出した結論|第2外国語の必修はムダでしかない
写真:Flicker - paolobarzman

マダムリリーと、フランス人の旦那は2人とも、日本語、英語、フランス語を日常的に使っている3か国語話者です。これまで、膨大な時間とエネルギーを語学学習に費やしてきた私たち夫婦ですが、先日旦那と第2外国語を学ぶ意味について話していた時、一つの結論に至りました。それは、

大学で第2外国語を必修にする必要なし


ということ。英語以外にもう一言語学習する意味がない、と言っているのではありません。大学で、全ての学生に第2外国語の履修を強制することに価値を見出せないというのが、私たち夫婦の考えです。現在、日本の文系大学では第2外国語が必修になっているところが多いですが、これって本当に意味があるのでしょうか?

マダムリリー自身、大学では第2外国語ではフランス語を選択し、現在はフランスで生活していて、フランス語を毎日使っていますが、それでも大学の第2外国語必修には反対です。時間とエネルギーの無駄でしかないと思います。

そこで今回は、大学で第2外国語を必修にすべきでない理由を紹介します。あなたは、大学の第2外国語必修について、どう思いますか?

1大学の授業程度では使えるようにならない

第2外国語を大学で勉強しても、その言語を話せるようにはなりません。せいぜい、「自己紹介はできる」くらいのレベルだと思います。

マダムリリーは、フランスで生活するようになって、大学時代に学んだフランス語をもう一度イチから学習し直す羽目になりましたが、当時のフランス語に対する予備知識と言えば、「動詞の活用が面倒くさい言語だったよな…」程度でした。単に不真面目な学生だっただけなのかもしれませんが、必修科目にしてしまうと、「単位をとるために勉強する」ようになり、学習の目的がズレてしまいます。

第2外国語を必修にする意味があるとすれば、それはヨーロッパの学生に限った話ではないでしょうか。例えばフランス人の大学生がイタリア語を学習するのなら、元の言語が同じラテン語なので習得も早く、フランス国内でもイタリア人に会う機会が多いので、最小限の労力で、最大の価値を生む環境があるからです。

しかし、外国人との出会いが少ない日本で、英語よりも難しいドイツ語やフランス語、イタリア語を第3言語として学習しても、労力のわりに成果として報われる場が少なく、時間とエネルギーの浪費するだけで終わってしまうでしょう。

2むしろ、英語のレベルを上げるべき!

日本の大学生がみんな英語を話せるというのなら、第2外国語を必修にする意味もあるでしょう。しかし、残念ながら、日本の学生の現状はそうではないです。中学生からのおかしな英語教育のせいで、文法はできるのに英会話となればさっぱり…という学生が大半なのではないでしょうか(私もそうでした)。


このような状況では、他の言語を学ぶより、まずは英語力の底上げをするべきだと思います。実際、海外で外国人と会話する場面があっても、ほとんどは英語でことが足りるからです。

例えば、あなたがフランス人と会話をするとしましょう。会話で使う言語は、相手のフランス人とあなたの双方が最も理解できる言語で会話することになります。すると、たとえ第2外国語でフランス語を学んでいたとしても、たいていの場合、

互いの英語力 > あなたのフランス語力 > 相手の日本語力

となり、結局は英語で会話することになると思います。もちろん、相手の母国語を少しでも話せたほうが相手に与える心証はいいですが、現実問題として、やはり一番重要な言語は英語です。

また、国際的な場で、フランス人だけが集まるというのはほぼありません。いくらフランス語を話せるようになったところで、その場に中国人やドイツ人、アメリカ人などがいれば、自ずとみんなが英語で会話することになります。だから、英語力が十分でないうちに、他の言語へ手を伸ばすのは、非効率的なのです。

3他の勉強をしたほうがいい

同じ勉強をするなら、プログラミングやウェブマーケティングなどのほうがより実践的で、就職活動にも生かせると思います。第2外国語を勉強する暇があるなら、手話や自動車免許の取得に時間を割いたほうがためになるでしょう。時間を自由に使える大学時代こそ、自分の生き方や働き方についてじっくり考えられる時間があるわけです。とことん、自分と向き合える、人生のなかでも貴重な時間を与えられているわけです。

この時間を、勉強しても大して成果の出ない第二外国語の学習に充てるのが、どれだけもったいないことか!

大学時代にできた友達を大切にしたり、バイトで遊ぶお金を貯めたり、夏休みに海外一人旅をしてみたり…。学生の時にしかできないことに、時間と労力を割いたほうがいいと思います。

 

おわりに
とはいえ、第2外国語が必修科目にされている学生は、勉強しないわけにはいきません。第2外国語の勉強は最小限にとどめておいて、本当に自分のためになるものを学習したほうが有意義です。

大学院で研究する際に、英語以外の言語が読めると便利という理由もあるのでしょうが、それなら研究者になってから勉強を始めてもいいと思うんです。

言語は習得するまでに、膨大な時間とエネルギーがかかります。一生をかけて学び続けるものです。趣味や遊びとして外国語を学ぶという人もいますが(それはそれでいいと思います)、”さわり”程度に外国語を学習することに価値があるとはやはり、どうしても思えません。

足を踏み入れるなら、それなりの覚悟を。

あとになって、時間とエネルギーの無駄だった!と気がついてしまうことがないように…。

 


7 コメント

    • そうおっしゃるのなら、米原万理さんのどの本のどの部分を読んで、どこらへんの浅い考えを直すべきなのかを論理的に説明してください。言い逃げですか?

  1.  大学で第二外国語が必修であることに疑問を抱いたら、普通ならまずやることがあります。それは大学で第二外国語が必修になっている理由を調べることです。その上ではじめて、その理由がそもそも適当か、現状でその理由を満足できているか、について検討できるわけです。これは建設的な批判の最低条件です。
     理由を調べることを飛び抜かして、不要という結論ありきで話を進めるから、「浅い考え」などとなじられてしまうのではありませんか。大学で第二外国語を必修にするのは無意味ではないかという疑問を持つことは良いことですが、疑問を持ってからのアプローチがどうあるべきか、一度きちんと考えてみてはいかがでしょう。

    •  いやあ、マダム・リリーに大賛成!実用英会話さえできれば人生は楽勝です。ドイツ語だのフランス語だの、その背景の文化や歴史だの、ややこしいことを学ぶなんて本当に時間の無駄です。そんなことで貴重な時間を潰すくらいなら、バイトで遊ぶ金を貯めたり車の運転免許をとったりしてとことん自分と向き合うほうがいいに決まっています。
       現に日本の大学ではもうほとんどの大学で職業教育が中心になっていて、第2外国語どころかリベラルアーツ自体が消滅しつつあるわけで、まことに目出度いことです。さまざまな言語を通じてものごとの本質を究めたり多様なものの見方を人々が身につけるなんてことは企業的観点からすれば、そして政治家さんたちにとっても、まったく無意味どころか有害な話ですからね。
       米原万理さんの本なんて読む必要はないです。それこそ時間の無駄。人生は短いのだからもっと有意義なことに時間をつかわなくちゃ。マダム・リリーに全面的に同意します。

  2. あほくさ。そんなことを言ったら 大学で習うことには 第2外国語よりも無駄なことがいっぱいあるよ。だから、大学に入ること時代 無駄。高校を卒業したら 運転免許でも取って トラックの運転手にもなればいいんじゃない。

  3. 私も学生時代第二外国語は無意味と考えていました。しかも理系で学年制だったため留年(カリキュラムも変で専門科目と第一外国語の英語と選択必修の第二外国語のドイツ語かフランス語を選択、その上専門科目全てクリアし英語もクリアしているにも関わらずドイツ語だけ落としたため)してしまいました。フランス語は非常勤講師一人による授業で試験はフリーパス、ドイツ語は常勤講師と非常勤講師の二人の試験で非常勤講師の方は通ったものの常勤講師の方が通らなかったため落第してしまいました。
    学生時代は専門科目や実験に追われ申し訳ありませんがドイツ語まで余裕はありませんでした。
    その後ドイツへ住む機会恵まれ、そこそこドイツ語ができるようになり、ドイツ語で3年もお世話になった恩師にお礼の手紙をドイツ語で書いたら恩師から「参った、ドイツ語上手くなったね」と喜んで頂きようやくドイツ語から卒業できました。

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