「悪いことをすると置いてくよ!」としつける日本人が恐れていること

「しつけ」で 北海道の山林に置き去りにされ、小学2年生の田野岡大和君(7)が行方不明に行方がわからなくなった事件を受け、日本では今、「親のしつけのあり方」が議論されている。いくら「しつけ」のためとはいえ、クマも出没するような山林の中に子どもを置き去りにするのはやりすぎではないか、というのが一般的な意見だが、実際はこれに似たことをしている親は少なくないのではないかと思う。

今回のケースは、“北海道の山林で”置き去りにし、しかもその後に行方不明になっているので、ここまで大きく報道されたが、公園やスーパーなどで言うことを聞かない子どもに対し、「そんなに言うことを聞かないなら、置いて帰るよ!」と言ったことのある親は少なくないだろう。この事件の親のように、実際に500m位離れてみたり、5~10分して戻るといった罰を与えたことのある親もいるかもしれない。この事件は結果として行方不明になっているから、世間に「ダメ親」として叩かれているが、実際はこれに近いことをしている人は日本中にごまんといるのだと思う。


今回の山林の置き去り事件については、「山林なんて危ない場所に置き去りにするなんて!」という批判も多いが、場所がどうという問題ではなく、そもそも「置いて帰る」という罰の与え方自体が問題なのではないだろうか。

以前、このブログで、「出ていきなさい!」と叱る日本人の親と欧米人教育の違いという記事を書いた。これには、日本人の親は「家族」という一種のコミュニティーから追い出すことを最大の罰として捉えており、「家の外に出す」という手段を使って子どもを躾けている人が多い、と書いた。筆者の知り合いの日本人の旦那さんと結婚したフランス人女性はこう語っている。

「日本人は自分がされると一番嫌なことが、コミュニティーの外に出されることなのではないかと思います。子どもが学校でするいじめも仲間外れにするやり方が多い。これは大半の日本人が“仲間に入れないこと”が最大のダメージだと考えるからです。」

今回の置き去り事件を報道した新聞では、小石を人や車に投げつけるなどしたため、両親が「悪いことをするとこうなる」と言う意味で置き去りにしたとあるが、この親も「悪いことをすると一人ぼっちになる」、「悪いことをすると家族という集団に入れない」ということを意識的にせよ、無意識的にせよ、教えようとしたのではないだろうか。

しかし、本来なら、家族というコミュニティーはどんなことがあっても追い出されることない絶対的な場所であるべきだと思う。世間でどんなにダメ人間扱いされても、いつでも帰ってこられる場所が家族。このベースとなる安心感を子どもに与える責任が親にはあるのではないだろうか。海外に比べ、日本の家族関係が希薄だと言われるのは、こんな親からの罰の与え方にも起因しているかもしれない。


「勘当」という言葉を辞書で調べてみると、大辞林 第三版の解説にはこのように書かれている。

かんどう【勘当】( 名 ) スル

①江戸時代,親が子の所業をこらしめるために親子の縁を絶ったこと。武士は管轄の奉行所,町人は町奉行所で登録した。この登録のないものは内証勘当といった。追い出し久離きゆうり。また,主従・師弟関係を絶つことにもいった。

 

江戸時代の「勘当」の慣習が現在も少し残っている、と言えなくない。「そんなことをしたら親子の縁を切るぞ」という脅し文句をあまりにも簡単に口にしてしまう人がいるのも、こういった日本の文化背景が原因のひとつではないだろうか。

家から追い出す、「置いて帰るよ」と言って脅すなどの罰の与え方は、子どもから家庭に対する安心感を奪うだけでなく、コミュニティーから外れることに対する恐怖心を植え付けることにもなる。「コミュニティーに属さない人は悪い人間」という間違った概念が生まれてしまかもしれないし、常に集団に依存しなくては不安で生きていけない集団依存型人間になってしまうかもしれない。

とはいえ、親だって完璧ではないし、いつなんどきも正しいしつけができる親なんていない。

しかし、子どものうちから「そんなことすると、うちの家族に入れなくなるよ」という言葉で脅すのは、やはりしつけとして褒められたやり方ではない。

子どもに「追い出すよ」、「置いて帰るよ」と叱る親は、親自身が「家族が絶対的なものではない」と不安を感じており、また何らかのコミュニティーから外されることに恐怖心を抱いているのではないだろうか。まずはこの親の意識から変えていく必要がある。

今回の山林置き去り事件は、単なる「ダメ親が起こした可哀想な事件」というよりも、日本人全体が共通して持っている「仲間はずれにされる恐怖心」を見事なまでに表した事件であるように感じるのは筆者だけだろうか。

この事件がこれだけ世間で騒がれるのも、この恐怖心を誰もが持っており、「置いていくよ」と言われて嫌な思いをした経験のある大人が多いからだという気がしてならない。

「出ていきなさい!」と叱る日本人の親と欧米人教育の違い


8 コメント

  1. バカな親を持つとその子供が人の二倍三倍苦労することになる。人の人生は親によって決まる

  2. 最初は「山菜採りに行っていた時にはぐれた」から「おきざりにした」と言う報道から加熱していったような気もします。
    実際どこまでが事実なのかわからないのですが、まだ親が画していることがあるのではないかと考えている人もいるようです

  3. 天災の多い日本では集団からの孤立は死に直結だし、集団行動を乱すと周りの生存率も低くなります。村八分って昔からありますもんね。火事と葬式を除いて集団から追放されるって稲作文化と災害のバーゲンセールな日本では生存に関わる結構なペナルティだと思います。だから早い内から子供に孤立する恐怖感を植え付けようとするんだと思います。いいか悪いかは別として。

    • 日本人の集団意識と天災との関係ですか。面白い考察ですね。確かに日本人の天災に対する危機管理意識というのは独特で、単純に欧米と比べることはできませんね。面白い視点です。ありがとうございます。

      • あと、出ていけと言う躾の方法も問題ですけど、この事件の後処理も結構な問題だと思うんですよね。海外の人の意見だと両親は逮捕されるべき子供は保護施設へ!が主流みたいですが、日常的にネグレクトを行ってた家庭ではないようですし。逆に毎週末子供と野球観戦に出掛けたりする一般の中流以上の家庭だと報道されてます。親から離され保護施設から里親に貰われる子供は日本では二割以下(奴隷化されないように法で里親の基準が厳しく規定されているのも少ない要因だそうです)。保護施設から育って高校に進学できる子は経済的理由から半分以下大学はほぼ無理だそうで、保護施設に入った時点で子供の底辺生活開始は決定事項なんですよね。こんな騒ぎになっては自営業ならいいですが父親も仕事を馘になるかもですし、この子の未来は暗そうです。

        • 確かにこの事件の後、父親がたくさんテレビに出ているのを見て疑問に思いました。マスコミからお金もらってんのかな?、と。
          日本で報じる海外の意見とやらは、ほぼあてになりません。私もこの事件を取り上げた海外メディアをいくつか見ましたが、どうも海外のメディアは「日本は奇妙な国」というレッテルを張りたがっているようで、本当に嫌いです。多面的な報道はせず、一面的に「日本はクレイジーだ」と煽っている海外メディアをみた欧米人の意見を、日本で報道しても何の意味もないと思います。日本のニュース→誇張して海外へ広がる→それに対する反応を日本で紹介という、何の意味もないわけのわからない報道は見るたびに腹が立ちます。
          話はそれましたが、この家族が早く普通の生活を始められるように願っています。父親もいつも通りに仕事ができ、子どももいつも通りに学校へ行けるといいですね。

          • >この事件の後、父親がたくさんテレビに出ているのを見て疑問に思いました。マスコミからお金もらってんのかな?、と⏩私はマスコミお得意の「説明責任を果たせ」という視聴率稼ぎのためのエゴと早くそして深くお騒がせした「世間様に謝れ」という圧力を画面から感じて嫌な気分になりましたがね…。日本の視聴者の中には画面越しに謝られて快感を得てる層が確実にいるんでしょうな。

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here