あなたの海外生活が辛い原因は「日本への執着」を手放せていないから。

こっちで知り合ったフランス人と会話していると、たまにこう聞かれることがある。

「フランスの生活に慣れるのは、辛くなかった?」

筆者はこう聞かれるたびに少し違和感を抱く。そして、いつもこう答える。


「いいえ、全然。本当に辛いのは、フランスの生活に慣れることではありません。母国、日本から精神的に離れることです。」

海外生活が決まってすぐに誰もが心配することといえば、「現地に慣れることができるか」である。現地の文化や風習、環境や周りの人に自分が上手く溶け込んでいけるか不安になり、ネットなどを通じて情報収集する人が多いのはこのためだ。

しかし現実には、海外生活で最も難しいのは、何も現地に慣れることではない。「海外生活で早く現地に慣れる方法」というのは意外と単純で、1)言葉を学んでバリアーをなくすことと、2)周りの人の真似をして文化や風習に溶け込むことの2点をやっていれば、誰でもそのうちに馴染んでいくものだからだ。外国に慣れるためのレシピというのは、とてもシンプルなのである。

それに比べて、「日本から精神的に離れる方法」というのは難しい。誰も教えてくれないし、レシピも一人一人違うからだ。それに加え、言葉ができなかったり、初めてのことで思うようにうまくいかないことが続くと、ますます日本への執着が強くなるから厄介だ。

  • 日本だったら、絶対こんなことはないのに…
  • 日本にいれば、こんな時友達に話して気持ちをわかってもらえるのに…
  • 日本なら、信頼できる家族に会えるのに…
  • 日本なら、勝手がわかるからこんなに苦労しなくて済むのに…

海外生活を始めて間もない人にとって、日本とは「それまでの自分」の象徴である。

うまくいっていた自分。忘れたくない良い思い出。淡い思い出。青春。これまで頑張ってきたこと。積み上げてきた成功。一緒に笑った友達、家族。これだけは譲れないモラル、自分ルール。大切な人、モノ、思い出、全て…。

海外適応の過渡期にいる人にとっては「それまでの自分全て」が、日本なのである。これに思い入れがあるのが当たり前で、これから物理的に離れて平気でいられれるようになるまでに時間がかかって普通なのである。

さらに、海外で上手くいかないことがあるたびに「日本のような素晴らしい国だったらこんなことはないはず!」と頑なになって、ますます日本への執着を強めていってしまうのだ。

筆者自身の経験を振り返ってみても、なかなかフランス生活に馴染めなくて悩んでいた頃は、「日本への執着」が強かった。体はフランスにいるのに、心は日本にしがみつき、日本とは違うフランスのやり方を否定し、日本を美化してフランスを批判した。今思えば、どこか自分のなかで「フランスの生活に慣れきってしまうこと」に恐怖を抱いていたように思う。

冷静になって考えてみると、とてもロジックではないのだが、当時の筆者は「フランス生活に慣れきってしまったら、もう一生日本には戻れないのではないか」と恐れていたのだ。

  • フランス語を流ちょうに話せるようになって、不便さを感じなくなってしまったら、もう日本には帰れないのではないか。
  • フランスでたくさんの友達ができて、こっちでの楽しくなってしまったら、日本の友達とはもう付き合えなくなってしまうのではないか。
  • フランス人旦那の家族とあまりに打ち解けてしまったら、日本にいる両親との関係をあきらめなくてはいけなくなるのではないか。

とにかく、フランスにいる自分を受け入れたら、それまでの日本にいた自分を否定しなくちゃいけないような気がして、それが辛かった。以前の自分とはまるっきり違う別の人格にならなきゃいけないようなきがして、なかなか「フランスにいる自分」を受け入れられなかった。

人生の新しいページをめくっていかなくてはいけないのに、頑なに前のページに戻ろうとする。環境の変化とともに変わっていってしまう自分を恐れ、頑として「日本にいたころの変わらない自分」を貫こうとする。

これじゃ、「海外適応」なんてできるわけがない。日本への執着を抱いたままで海外生活をするのは、前の恋人のことが好きで忘れられないのに、別の人とつきあうようなもの。執着があるから辛くなり、執着があるから何をやってもうまくいかないのである。

心理カウンセラーの心屋仁之助は、「執着」をこのように説明している。

執着と言うのはそのことにこだわっているのではなくて、その「逆」を「受け容れる」ことを拒否しているだけなのです。そして、その「逆」を受け容れると本当にそうなりそうで、自分を否定してしまいそうで、その事態に本当になってしまいそうで、怖くて怖くて手が離せない。

で、そうやって「その片方」を受け入れないから「もう片方」も、ずっと手に入らない、という現実が続き続ける。

彼の定義する「執着」の意味が、今では筆者にもすごくよくわかる。

「日本」への執着とは、「海外にいる自分」を受け入れることを拒否しているだけなのだ。


海外にいる自分を受け入れてしまったら、語学のできないダメな自分、不安で押し黙ってしまう自分、うまく外国人とコミュニケーションできないダメな自分、明るく社交的になれない自分になってしまいそうで、それが怖くて怖くて手離せない。

それならすぐに日本に帰って日本の生活に戻れば、心がスッキリとして、仕事も人間関係も、何もかもうまくいって楽しく幸せに暮らしていけるのかというとそうでもない。「海外」を受け入れないから、「日本」もずっと手に入らないのだ。

 

最後にもう一度。

あなた海外生活が辛いのは、海外に慣れないからじゃない。

受け入れないから苦しい

それだけだ。

だからもう、そんな執着はさっさと捨てなさい。清々しい青空にぱぁっと振りまくように、あなたの執着を手放しなさい。

きっと、今よりも心がスッキリして、楽になれるから。

そして、手離せたときに「恐れていた事態にはならない」ことに気が付くはずだから。


3 コメント

  1. テーマである ’日本への執着’ はたぶん、’ホームシック’や’カルチャーショック’などと 密接に関係した感情だと思うのですが、自分は今までほとんど(まったく?)感じたことがありません。’日本への執着’が強い友達などはいましたが あまり理解できなかったです。

    現在、2度目の海外生活、 1度目はアメリカでの大学生活。現在は 南欧で永住予定です。
    もともと 中学生ぐらいの頃から 欧米、特にアメリカへの憧れが強く インターネットなんか無い時代、ハリウッド映画や たまにTVでやっていたアメリカドラマが大好きでした。運良くアメリカに留学できて6年ほど住みましたが、 親戚の結婚式などで2度帰国しただけで まる4年ぐらい日本に帰らなかったです。日本人の友人には 夏休み・冬休みだけでなく 1週間以上休みがあると日本に帰る人もいました。

    アメリカに残りたかったのですが、ヴィザの問題や 仕事も見つからなかったので泣く泣く(?)日本に戻りました。日本では 鬱や気持ちが沈むということはなかったですが、’ここは自分の居場所ではない’という感じがどこかあったと思います。

    そんな中、今の配偶者と知り合い 南欧に引っ越して2年ぐらい。言葉はまだまだ苦労していますが日本にいたときにはない 開放感というか 精神的な充実感を感じています。
    配偶者が現地語と日本語の 完全なバイリンガルなので 日本語での意思疎通に困らない。でも、現地国籍なので 現地での役所の手続きなど 生活に必要なことは任せられるなど ストレスになりうる要素が 普通よりもだいぶ少ないのもあるかもしれません。あとは、もともとのんびりした(いいかげんな)性格なのか、例えば 荷物が時間どうりに届かないとか、 ほとんど気にならない。 というか、日本の便利さに特に魅力を感じないのだと思います。(荷物?何日後とかでも 届けばOKみたいな)

    配偶者の希望(日本での買い物など)で 1年に1度ほど日本に行きますが、どちらかと言うと憂鬱でしょうがない。どうせ飛行機にのるのなら ヨーロッパの他の国やアメリカに行きたいと思ってしまいます。

    まとまりなく長くなってしまいましたが、 こういう特殊な例もあるということで・・・

    • 私もまさに同じです。学生時代の留学からはじまり、今の職業の専門的な勉強をする為の長期留学など日本に執着(?)する気持ちがほとんど解りません。日本を離れてもう随分と長いですが、昔から日本に帰りたいとか日本の友達やカルチャーが恋しいとかひとつもなく、個人主義で自分の言いたいことを言う人達に囲まれているほうがしっくりきます。日本にも仕事で年に1度は帰りますが完全に仕事モードで、わくわくなどはしません(行けば行ったで楽しみますが)。
      ちなみに私も南欧(スペイン)です。

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